映画のエンディングに美しいソプラノの声が流れる。
このような音楽に値するような「今」の時間はあるのだろうか、とふと自分の生活に目をやる。
その映画が救いようのない悲惨を描いたとしても、その背後にある心の美しさの深さにより、音楽の美しさはピタリとはまる。
ぼくらの生活が「今」である限りは、美しい音楽はなかなかはまらない。
けれど、それが過去の思い出となったとき、美しい音楽に匹敵する価値を持つ何かになることがあるだろう。
ちっぽけなぼくの人生にも、美しく思い出されることは少なくないのだから。
ならば、未来はどうだろう?