人が意図とは関係なく動いてしまうことをぼくらは「自然に○○する」と表現する。
その「自然」にも二つがあって、ひとつは外的な要因(例えば、自然科学的な要因)によるもの、もうひとつは内的な要因(例えば、互酬制など共同体内の規則など)によるものである。
ぼくらがどきどきするのは、前者の結果としての自然であることを発見したときだ。
では、後者についてはどうだろう?
ぼくは、今それについて考え直したいと思っている。
ぼくはこれまで共同体的なものを軽視しすぎてきたのではないか?
ひとりひとりがかけがえのない存在でありつつ、人と人が手をつなぎあって生きていく方法を「自然」について考えることで見つけていこうと思う。