昨年の暮れから、皇居を走り始めた。
何年も外苑のサークルを走っていたが、より人の多い場所で走りたくなったからだ。
ロラン・バルトは、皇居について、大都会東京の中心にある、空虚な、何もない森として捉え、意味から解放された日本独自の自由さを肯定的に説いたが、中心に位置する「無」の周りを走るという行為は、なにか自分を浄化してくれるような気持ちにさせてくれるようだ。
みんな左回りに走るから、左に無、右に有という状態が続く。ランニングコースは無と有の境界に位置するということになる。
空間的な体験としても面白い。
ちなみにこの一週間で50キロ走った。今年は久しぶりにマラソンに出ようかな?