gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

可能性

例えば私はクライアントへのプレゼンに手描きのパースを用意する。

それは手描きの方が私の感性がどのように空間に変換されるかがクライアントに伝わりやすいと考えるからだ。もうひとつ、CADでつくったパースでは、ベンヤミンの言うところの「アウラ」が抜け落ちてしまうように感じるからである。他にも理由はあるが、ここでは置こう。

つまり、私はCADよりも自分の手描きの方がよいものだ、と決めつけている。その方が、クライアントに伝わるに違いない、と。だが、それは実証できないことだ。その「可能性」を信じているだけだ。可能性という限りは、間違っている可能性もある。だが、その白黒を明確にすることに関心がない。

自分にはいくつかの拘りがあるが、拘りとはつまり、このような自分勝手な決めつけのことを言うにすぎない。まあ、自分の頭の固い部分だといってもよい。アメリカで学生だった頃も、教授からよく「stubborn(頑固者)!」と言われていた。

今の仕事を私のライフワークと決めたのも、つまりは自分勝手な決めつけである。可能性を信じたら、一切疑問を持たない。それに関してだけは、他人の忠告もすべて無視してきた。

科学的に証明できないことは、信じるか、信じないか、どちらかしかないだろう。そこには理由すらない。この世では直感で選び取るべきことがたくさんあるし、むしろ重要な選択肢はそっちの方だ。

どのような高等教育を受けても、正しい選択は保証されないのである。磨くべきは、感性だ。

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