gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 アナザーカントリー

20世紀前半のヨーロッパ白人社会の背筋の伸びた服装スタイルは美しい。英国の場合は特にそうだ。伝統という言葉がよく似合う。

しかし、考えていることといえば、権力や地位のことばかりだったりして、単純に醜い。その他の社会と比べて、崇高な思想があるとも思えない。結局のところ、伝統とはかたちにすぎないのか?

ともあれ、現代に生きるほとんどの人が、その服装スタイルを今よりもかっこいい、というだろう。なぜ、現代人はその服装スタイルを過去のものにしてしまったのだろう?

現在では、どの国も似たような、(当時に比べれば)だらしない格好をしている。もちろん、当時に比べれば、ずいぶんリベラルな社会が世界的に実現しているからだが、リベラルな社会ほど、服装スタイルはダサくなるのだろうか?

現在のところ、答えはイエスである。服装を気にしなくてもよい社会になったから、である。どんな格好をしてもよい、と言われたら、最もかっこいい服を着る、という人はさほど多くないのが現実だ。ほとんどの人は、笑われないくらいの格好をしていればよい、と思っている。全体として、服装コードが決まっている社会よりもダサくなるのは仕方がない。

視覚的に美しく生きることに興味を持つ人の割合が増えない限り、それは覆らない。そして、その割合が増えるということが必ずしもよい社会につながるとも思わない。むしろ、逆かもしれない、と思う。

服装も空間も、似たような位置にあるかもしれない。人はグリッドフレームのことを視覚的に美しい空間をつくるための集団だ、と思っているかもしれない。しかし、私は空間をつくる究極の目的をその美しさには置いていない。めざしているのは創造性の連鎖、つまり、その空間を使う人が、創造的に行動する気持ちになることだ。つくることを通して、伝えられることの本質は「創造に向かうエネルギー」にあると思う。

映画では同性愛が描かれていたが、姿の美しい者同士の同性愛は見ていて違和感なく受け入れられるようで、1983年の日本での公開時は、女性たちに大人気だったらしい。だが、この映画の登場人物が美少年たちでなかったら、反応は逆になっていたであろうことは容易に想像される。視覚的美しさなどそんなものに過ぎない。

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