桃井かおりが演じる知華が最後に殺される理由について、監督はこう語っている。
「言葉面で自由って簡単なんですけど、本物の自由であればあるほど、生きられるはずがないじゃんっていう感じがあるんですね。のうのうと生きられるって事はどっかでごまかしてるから生きられるんであって、本当に自由であったら、この世は生きていけるはずがないと。だから、これは当然殺されないといけない。自由であればあるほど、死ぬべくして死んでいく。けっして死を悲劇としてとらえない。死もまた自由であることの選択肢の一つ、という風には思っていたんです」
上記のドキュメンタリーにも、この思想は反映されている。この監督らしい。
自由を選択するということは、死に近づくことだ。それは、幸か、不幸かという次元を超えている。
どのような時代になったとしても、普遍的に言えることだろう。
が、それを映画として成立させるのは難しい。殺される知華が桃井かおりだからこそ、不幸な女の一生の映画という印象をぎりぎりで免れたように思う。