gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

子供が生まれるということ

ボルネオ島は、北側がマレーシア、南側がインドネシアに分かれている。国境はジャングルになっている。そのマレーシア側にケラビット族が住む集落バリオやパ・ルンガンがあり、そこを訪れたときのこと。

たまたま私が訪ねたときに、お祝いの儀式があった。英語ではロングハウスと呼ばれる、高床式の長〜い建物に百人以上の人が集まった。この集落の出身者があらゆるところから帰ってきたらしい。マレーシアの都市部からプロペラ飛行機で草原だけの空港に降り立った人たちもいたし、インドネシア側からジャングルの中の国境を越えてきた人たちもいた。

ある夫婦に子供が生まれたお祝いらしい。子供が生まれると、両親の名前が変わるのだそうだ。その儀式を執り行うために、これだけ大勢の人々が集まったのだという。

儀式の後は、大宴会である。なぜか、図々しくも、その儀式に出席させてもらい、ご馳走を食べてきた。

子供が生まれて親の名前が変わるなんてどういういことだろう、とそのときは不思議に思ったが、陽向が生まれてからの自分たちの生活の変化を見るにつけ、今更ながら、その儀式の意味がよく分かった気がする。

親になることも、ある意味で、新しい人間として生まれることなのだ、とする文化を持つ、ケラビットの人々の知恵に対する敬意を禁じえない。

余談だが、1日に2便くらいしかないプロペラ飛行機がいっぱいになり、私は帰りの便をとれずに、数日間そこに足止めを食らうことになった。日本への帰国が近づいていた。非常手段として、私は貨物便の中で米袋を枕に寝そべって、集落を離れることになったのである。

貨物になった気分は、悪くなかった。