gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

夜と霧 5

ラテン語の『フィニス(finis)』には、よく知られているように、ふたつの意味がある。終わり、そして、目的だ。(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。」

このことは、強制収容所の生活に限らない。今の自分は過渡的状況の中にある、と規定したときに、どこへ向かおうとしているのか、そして、いつそこへたどり着くのか、というイメージができていなければ、自堕落な生活に陥ってしまう。

今は、本当の自分ではない。そのような思いがあまりにも長く続くと、「本当の自分」というイメージ自体が消えてしまう。無論、本当の自分など、どこにもない。こうして、今は本当の自分ではない、といいながら、現実に存在する自分がいるだけである。

にもかかわらず、「本当の自分」というイメージを、人間は保持し続けなければならない。フランクルは、ニーチェの言葉を引いている。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」

そして、収容所での自殺を思いとどまった二人を例にとり、次のように書いている。

「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。」