gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

獣のように

最近電車に乗るのが難しい陽向を毎月通う鍼灸院へ車で連れて行った。

 

駐車場に止めて、彼を連れて行こうとすると、立ち上がらない。

 

四つん這いになって動かない。

 

20分ほど立たせようと格闘するが、もう大人のサイズである彼を思い通りにはできない。

 

彼から離れてみると、四つん這いのまま獣のように鍼灸院へ向かい始めた。

 

四つん這いのまま、車道を渡る。

 

そして、渡りきったところでまた動かなくなった。

 

最後は、鍼灸の先生が出て来てくださって、3人で手足を持ち上げて鍼灸院へ運び込んだ。

 

無事鍼灸院にたどり着いた彼は、スッと立ち上がってベッドへ行く。

 

大変だけど、こんな面白い奴は見たことがない。

 

混沌と落着き

毎日は混沌の中にある。今日も思いもしなかった出来事が押し寄せてくる。

 

最近は、それを愉しんでいる自分を感じられる。

 

軸がぶれなくなったのだろうか。

 

まるで祭りの熱狂の中にいて、同時に外から静かに自分を眺めているかのように。

 

その行ったり来たりが少し自在にできるようになってきたのかもしれない。

 

もちろん、まだまだぶれないわけではない。

 

でも、大事なことは見えてきている。

 

 

 

第2回ペンキのキセキ

昨年11月末に行った第1回「ペンキのキセキ」で塗装していただいた鉄板が4か月ほどの鋸南の時間を記憶して、プロジェクトに使用されるべく引き上げられた。

 

今回、自由に塗っていただいたペンキは、途中雨が降って流され、人の手だけでは実現できない複雑さが現れ、塗ったその日にペンキのキセキを目の当たりにすることになった。

参加していただいた方々に感謝。

奥能登の未来

能登半島地震発生からすでに3か月が過ぎているにもかかわらず、輪島朝市の火災跡地や奥能登の各地に見られる倒壊した家屋群は手つかずの状態で放置されている。

 

熊本地震のときには、これほど放置されたままではなかったという印象がある。人口が少ない、というのが大きな理由だろう。東日本大震災では、海辺の小さな部落は復興をあきらめ、住民は高台移転した部落もあると聞く。

 

能登の未来はどうなるのだろう?

 

生活全体

私的も公的もない。大事なことがその二つで別々であるはずがない。

 

生活全体で生きる。あたりまえのことかもしれないが、ぼくは今初めてそれができている実感がある。

 

きっと陽向がそうさせてくれているのだろう。そして、能登へ会社を代表して行ってくれているMさんのおかげもあるだろう。他にもいろんな人の助けを借りて。

 

生活全体で、全体をよくしていく。そんな祈るような気持ちと行動が一致し始めている。

 

そのサイクルが回り始めた3月。

脳戸のツボ

絡却のツボを棒灸で温めた効果が出て、陽向は元気が出てきた気がする。元気が出て、初めて食欲が出てくる。

 

次に示されたのは、納戸(のうこ)。これは、ぼーっとした頭をクリアにする、つまり、脳の働きを活発にするツボと言われている。

 

ここへ棒灸をすると、意志がより明確に出てくるようになる。

 

母親に料理を一緒につくりたいと言い始めたのは、この棒灸の直後だった。

 

絡却のツボ

陽向の症状を鍼灸の先生に相談して、絡却のツボを棒灸することを勧められた。

 

絡却のツボは頭痛、めまい、耳鳴り、視力低下、鼻づまり、精神不安、てんかんうつ病に効果的と言われている。

 

陽向は、自律神経失調症であると診断されていて、それにはここがよい、と。簡単に言えば、少し元気がないので、不安をやわらげるためにここがいいと。それによって、食欲が出る、と。

 

陽向は自分にとって必要なものは本能的に感じ取れるので、彼が受け入れる限りは効いていると思っていい。

 

結果として、彼は食欲を取り戻してきた!

 

混沌の毎日

先行きが見えないのは、むしろ普通のことで、そうでなければ生きているとは言えない。

 

ぼくは「つくる」仕事の理想のカタチをずっと探してきたが、気が付けばその中に在ると言えるのかもしれない。

 

仕事もそうだし、プライベートもそうだ。いや、仕事とプライベートを分けることに意味を見いだせない。

 

生活全体、人生全体が混沌の中にあって、混沌を材料として、秩序を生み出す。その秩序は、小さかったり、大きかったりする。

 

いろんな人がその中に取り込まれて・・・みんなが愉しんでいられるなら、それ以上の状態はないではないか。

 

つくる空間も、そうありたい。