2017年。河瀨直美監督。
視力を失いつつあるカメラマン。
失われるもの、消えていくものへの執着。そして、手放す。
失われたものは光。
それでも、世界は光に満ち溢れている。
言葉は、その人の光になれるか?
2017年。河瀨直美監督。
視力を失いつつあるカメラマン。
失われるもの、消えていくものへの執着。そして、手放す。
失われたものは光。
それでも、世界は光に満ち溢れている。
言葉は、その人の光になれるか?
どのような空間にも、がらくたがあった方がいい
落ち着いて、そして、深く考え込むことができるために
35億年前に初めて地球に生命が誕生した。そして、110歳まで生きれば35億秒を生きることになる生物。
いや、単純に、「35億」という数を実感したいから、ぼくは秒という時間に置き換えているだけだ。
ガイアシンフォニー第3番の冒頭に出てくるナレーションはずっとぼくの中で響き続けている。
生命は、35億年前にこの地球に誕生したとき、すでに「永遠に生き続けてゆこう」とする意志を持っていた。その意志の現われとして、(性が誕生し、)より多様化し、複雑化してゆくという生命システムを生み出し、そのシステムの必然として個体の「死」を生み出した。(龍村仁 「魂の旅」 p.43-44)
より多様化し、複雑化してゆくのは、突然の環境の変化にも対応できる個体をつくることで、絶滅を免れるためだという。物理的にはそうだろう。誰に対しても有無を言わせぬ説得力がある。
だが、多様化し、複雑化することを、人間が愉しく生きるために誰もが本当に望んでいるか、というと、そうとも言い切れないだろう。
それは、サバイバルをリブに変えて、ぼくたちがこの世界に実存するキーとなる。宇宙に意志があるならば、それに寄り添い、同じ方向を見る心がきっと重低音のようにぼくらの中で鳴り響いているはずだ。
耳を澄ましてみる。
遠い過去にさかのぼり、遠い未来を見つめる。現在を生きる中で、そのような視点を持つ瞬間は少ない。そのため、何億年という単位で、多様化し、複雑化することの意味を実感することが少ない。
人間が動くためには、実感を必要とする。
1年は1秒の3153.6万倍だ。35億年と35億秒の違いは、視点次第ではほんのちょっとかもしれない。
多様化し、複雑化することを心地よいものとしてイメージできる空間をつくり、その愉しさを実感し、遠いまなざしを獲得する。
遠くのものを近くに見る。
空間は実感しがたいものを実感するためにつくられるのではないか。
陽向がこの春から、また柔道を始める。
今度は、試合に出る彼を見ることができますように。
夫婦が同じ出身地だと、阿吽の呼吸が通じるところがある。
別々だとそれがない分、予想がつかない反応を愉しめる。
どちらもよいところがある。
2004年。フランス、ベルギー、グルジア。
グルジアに暮らすエカおばあさんは、新しい生活を求めてパリへ旅立った息子オタールから届く便りを愉しみに待っている。母エカから自分に注がれる愛情が足りないことに不満な娘マリーナ。そして、いつも堪能なフランス語でオタールからの手紙を読み聞かせる孫娘アダ。
エカが留守のある日、マリーナとアダはオタールが工事現場の足場から落ちて亡くなったという電話を受ける。マリーナとアダは、エカを悲しませないように時折届くオタールからの手紙をねつ造し、エカに読み聞かせるようになる・・・。
年老いた肉親を悲しませないように、というやさしさと強さを、おばあさんのやさしさと強さは遥かに凌駕する。
脈々と続いていく命のリレーは、こうしてこの星の未来を切り拓いてきた。
ギリギリのところで、でも、しっかりとこの星を守ってきた。
too muchにならないように。
最も大切なのは、このことだと思う。
いつも、心にマージンを残せるように。
そんな仕事をしたい。
近くのローソン。
リュウさん、ラマさんはいつも、陽向にやさしく声をかけてくれる。
ラマさんが2か月ほどネパールに帰国していて不在だった。
久しぶりにレジで見かけて、「おかえりなさい」という言葉が自然に自分の口から出てくる。
そのことに驚いたりする。
あれから8年。
ずいぶん時間が経ったような気もする。
3.11は、いつも生きる意味について、考えさせられる。
平等な合議制の問題は、ホットな感覚をキープできず、直感的な判断が失われ、
時間が消費されていく中で、結果として
主には実績主義などの保守的な意見が通りがちであることだと思う。
一人が引っ張るかたちをつくらねば、うまくいかない。