メッセージという映画について、友人がfacebookに書いていた。
まだその映画を観ていないが、「生まれてくる自分の娘が早逝する未来を知りながら、生む決意をする」という言葉に込められた豊かさについて考えた。
未来を知りながら今を生きるのは困難だ。
だが、例えば、デジャブという現象がある。
ぼくらには、ときおり、未来を明かされる瞬間があるように思う。
そのときは、未来が明かされたとは知らない。
ずっと先に、その瞬間が訪れてから、それを知るのだ。
未来を知りたい、という思いは強いが、同時に、知りえないから、アクションを起こすことができる。
自分がこの宇宙に受け入れられているかどうか、を量るには未来にその審判を託すしかない。
だが、それも時間が一方向へ進む、という前提の下だ。
「生まれてくる自分の娘が早逝する未来を知りながら、生む決意をする」とは、時間から解放されなければできないことだ。
未来が目的にならない、という観念を手に入れることなく、それは不可能だ。
以前、「火垂るの墓」の早逝した子供たちの生きる価値について思いを巡らせたけれど、そろそろぼくも時間から自由になるときかもしれない。
美しさはいつも瞬間だ。
怖れることはない。