神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の名前を聞いたのは、高校の世界史以来かもしれない。
中世の時代を生きたにも関わらず、キリスト教以外の宗教に対して寛容で、ルネッサンスを先駆けて、科学や芸術を愛し、実践した人だ。十字軍を率い、イスラムのスルターンと無血で条約を結び、エルサレム返還を実現した人としても知られる。
ほとんど、存在自体が奇蹟のように書かれているものも多い。
彼は、イタリアにいるイスラム教徒を捕まえて、新たにルチェーラという名の都市を建設して移住させ、彼らに自治を許した、という。ルチェーラの住民は、彼に感謝し、軍事的協力を約束したそうだ。
この逸話については、二通りの記述がある。ひとつは、宗教的寛容がそうさせた、というもの。もうひとつは、軍事的に協力させるために、そうした、というもの。
他人を目的として扱ったか、それとも手段として扱ったか?
歴史は、結果から記述されるために、そのどちらであったかを特定できない。
だから、必ず上記の二通りの解釈がなされることになる。
そこに書かれる人間として、その二つは大違いだが、浮き彫りにされるのは、むしろ歴史の書き手側の心ではないだろうか。