gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

軽んじる

もし世界にぼくと誰かの2人しかいなかったら、もう一人の命をぼくが軽んじるなんてことはありえないだろう。

それが、3人になり、4人になり、だんだん増えていったときに、どのくらいの人数になったら、いてもいなくても同じ、という人が存在するようになるのだろう?

自分が会ったことがない誰かの死を知って、ぼくが心を痛めない場合があることをぼくは告白する。

それはぼくの人生になんら影響を及ぼさないだろうから。もしも、及ぼしたとしても、ぼくはそれを知る由もないのだから。

そんなふうに、開き直る自分もあるが、一方で、そんな自分に対する不快感もある。



今を生きている全ての生命は、地球上に生命が誕生して以来、数億年に亘って、一度も途切れることなく、遠い先祖からのバトンを受け取り続けた、果てしないリレーの結果として存在していることは明白だ。

そのような視点に立つとき、軽んじられるべき生命など断じてあるはずがない。

そのような認識をもとに生きよう、とぼくが決心することになんら不自然はないだろう。



一方で、世界では1秒間に2人くらい死んでいるとともに、1秒間に4人くらいが生まれている。差し引くと、1秒間に2人くらい人口が増えている。

この文章を書き始めてからも、すでに1000人くらい世界人口は増えたことになる。

おびただしい数の生命をいかにして尊重できるのだろう?



ぼくにとっては、柄谷行人の『探究Ⅱ』にある「単独性−普遍性」「特殊性−一般性」の二つの回路を分けて考える、という見方のみが、それぞれの生命を尊重できるカギとして映っている。

かけがえのない、単独的な存在として、それぞれの生命に向かい合う。それが、どういうことか。

ぼくの中では、少しずつスッキリと見え始めているような気がする。


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