小田原城の支城、忍城(おしじょう)が舞台。史実に基づいているとのこと。
圧倒的な兵力を誇る関白・秀吉軍に開城を迫られる。
「いやになったのじゃ。強い者が弱い者を押さえつける、才ある者が才なき者を押さえつけるのが人の世か。ならば、わしだけはいやじゃ。」
忍城の総大将・のぼうのこのせりふによって2万の軍勢に5百で立ち向かう戦が始まる。
結果は、水攻めに耐えて勝負がつかないが、本城の落城により敗戦。
いずれにせよ敗戦には違いないが、忍城のみが最後まで落ちなかった。だからこそ、史実に残っているのだろう。
のぼうを讃える映画であることは間違いないが、果たして、のぼうの決断は正しかったのか?
味方の死者数はわずかに見えるが、それでも何人かの名もなき人間の命は、のぼうの決断の結果、失われたことになる。
のぼうはそのことを気にしているようには見えない。自分のよく知る者の死だけを悼んでいるように見える。
実は、そのことこそが、強い者が弱い者を押さえつける現実の表れではないのか。
よくできた娯楽映画だと思うが、そういう点で全く本質には迫っていない。
この映画を褒め称える人たちに、弱い者を押さえつける強い者、才なき者を押さえつける才ある者が数多くいるであろう現実、また、そのことに気づいてもいないであろう現実。
それに疑問を抱くなど野暮に過ぎないのが、人の世の現実だ。