今から20年前といえば、1991年。私が社会人になって2年目の年である。この間に世の中はずいぶん変わった。まだ、携帯もなかったし、パソコンもほとんど普及していなかった。
世の中はまだバブルだった。ある意味、資本主義が生み出すマジックの頂点だった。
そして、20年後の今、資本主義の世界は終わりへ向かっていると誰もが考えているだろう。
会社の第一の目的は利潤の追求ではなくなるということだろう。そのことは、もう金のためになんてうんざりだ、という人にはむしろうれしいことだろう。
これからさらに20年後には、世界資本主義は存続できなくなるだろう、といわれている。そうなったら、世界で生産される商品の種類や量は激減するのだろうか?もちろん、そうなるだろう。
では、生活は貧しくなるだろうか?今よりもっと生きにくい社会になるだろうか?
そうならないために、今すべきことは何か?人の幸せとは何で、そのために必要なものは何か、を徹底して考えることではないだろうか。
私は、幸せとは、自分という人間が存在することを絶対的に肯定できることではないか、と思う。誰とも取替えの効かない自分を見ることだ、と思う。
それは、他人に対しても同様の見方をすることに等しい。
つまりは、人をその属性で見ない、ということだろう。
そのようなことをイメージするとき、私の脳裡に浮かぶのは、モンゴルの草原の遊牧民が、自転車で突如現れた私を、ただ「遠くから来た人」として歓迎してくれたことである。