gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

形式は美しくなければならないか

アメリカの大学で建築を学んでいるとき、いつも設計のプロジェクトはひとりずつのプレゼンテーションで終わった。

それは言葉が得意ではない留学生にとっては、自分の存在意義を周囲に示す唯一の場ではなかったかと思う。大げさでも何でもなく、自分の存在を賭ける場だったと思う。

プレゼン前夜は徹夜があたりまえだった。だから、プレゼンの後は倒れ込むように眠った。

大学にプレゼンという形式がなかったら、確実に私は今の仕事をしていなかっただろう。

形式をきらう若い人たちがいる。自然に自分をわかってもらえればよい、という。形式は、ともすれば美しくないそうだ。

形式の美しさが問題となる。それは、つまり洗練の時代に生きているということだ。

私が建築を学んでいた頃、形式の美しさなどどうでもよかった。プレゼンの場にあったものは貪欲なまでのエネルギーだけで、洗練はどこにもなかっただろう。

人から生きているというエネルギーが伝わってこないにもかかわらず、形式は美しくなければならないだろうか。

人気ブログランキングへ  ありがとうございます