gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

神の存在

神に敵する者に悪腫もて打たせながら、われとわが肉をわが歯に噛ませぬのが、神だといおうとしたんじゃなかったかね。(森敦「意味の変容」p.58)

つまり、森敦は、大きな苦しみを与えつつ、死ぬという選択肢も採らせず、生かし続けるのが神だ、と言っている。彼の図式的な説明でいえば、苦しみという境界を与え、強制的に内部に閉じ込めることによって、全体概念をなさしめるのが、神である。

すべての生きるものは、苦しみを取り除こうと必死になる。そして、それを取り除くことに成功したとき、これでようやく私という全体に変換された、と歓喜の声を上げる。だが、苦しみという、内部外部の境界が失われてしまえば、彼はもはや何ものでもなくなってしまう、と森敦はいう。つまり、そのとき、もう神はいないのだ。

与えられる苦しみを引き受けよ、と森敦はいいたいのだろうか。戦い続けよ。その間だけは、神がついている、といいたいのだろうか。

例えば、革命のために戦う者が、勝利を手にすると決まって輝きを失うように。

だが、それは、革命者の問題ではなく、大衆の問題なのかもしれない。革命者は次元を一つ高めた新しい戦いへと入ったのかもしれないが、大衆は革命とともにパラダイスに到達したと勘違いしてしまうのではないか。つまり、いとも簡単に境界を投げ出してしまうのは、大衆ではないだろうか。

生殖力こそは、愚者の持つ最大の武器である。(森敦「意味の変容」p.10)