昨日はsalyuの歌声から空間のイメージが具体性を持って喚起されることを書いたが、逆に、いい空間から具体的な音楽が流れてくることがある。
例えば、天気のよい日の夕方、カナダ大使館の2階テラスに座って赤坂御所の森を眺めていると、静かな音楽がどこからか流れてくる。もう随分昔の話だけれど・・・また行ったら、きっと流れてくるような気がする。
もちろん、他のメディア同志も変換されることになんら不思議はない。
ごく当たり前のことに過ぎないけれど、変換の瞬間は至福の時間であり、人はこのような瞬間を美と呼ぶのだろう。