gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

オンリーワンと「それなり」

昨年亡くなった樹木希林は、不思議な魅力が漂う人だった。きっと誰もがそう思っているだろう。

 

少し前の朝日の記事に、樹木希林の言葉が載っていた。

 

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 「それで、私、6年生の時にね、低学年のために『歩き競争』という種目があったんだけど、『私、それに出ます』って言ったのよ」

 歩き競争は、まだ泳げない低学年を念頭に置いた競技で、プールの水の中を歩いて進んでいくというものだった。「誰でも出来るわけだから、6年生にもなってそんな種目に出る子はいないわけよ。周りは小ちゃい1年生や2年生ばかりで、私一人、大きいの。で、『よーい、ドン』ってなったら、タッタッタッタッタってすぐ着いちゃったわけ。それで1等賞になった。

 みんなはバカにしてたんだろうと思うけどね。でも賞品をもらう段になったら、『歩き競争』の1等賞も、クロールの1等賞も同じ賞品だったのよ」

 周りの数人が「何だ、こいつ」「俺たちこんな頑張ったのに」とあしざまに言うのを横目に、希林さんは堂々としたものだった。「この「歩き競争」の経験で、私は人と比較しない人間だということを自覚しました。そして『比べなくていいんだ』とはっきり分かった」と言い、「私の存在価値がちょっと出たかなと思うわね」と振り返る。

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「ナンバーワンより、オンリーワン」というコピーが流行ったことがあったが、記者は樹木希林はオンリーワンという概念からも外れる、という。人と比較しない、というのがオンリーワンだと思うけれど、さらにオンリーワンじゃなくてもいい、と。

 

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 「それなり、で良いんですよね。世界に一つだけの花でなくてもいいし、オンリーワンになる必要もない。何なら咲かなくたって楽しい」と石飛記者。

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まあ、空気のように生きて、それが自分らしく在ることになった、ということだろう。宗教者の究極の理想みたいな・・・。

 

オンリーワンから、自意識を抜いたら、「それなり」になるのか?

 

映画の中にいる樹木希林の存在感が好きだった。色がつかない感じがいい。その秘密は、「それなり」で在ることなんだろう。

 

確かに、オンリーワンでは色がつく。