gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 歓びのトスカーナ

2016年。イタリア。

 

原題は、La pazza gioia(狂気の歓び)。心を病んだ女性が入院する診療施設を抜け出した二人の逃避行。

 

もし、安心して狂っていることができる社会になれば・・・、などと言う前に、社会全体がどこかが狂っている。例えば、テレビに出る政治家も大抵の場合狂っている。正常な人間なんていない、ということを、もう誰もがうすうすは知っている。

 

ただ、陽向に対して塾の先生が「問題が分かることと、解けることとは全く別だ」というのと同じ意味で、知っていることと実行することとは全く別で、結局レッテルを貼られたから「狂った人」の扱いを受けてしまうのがこの社会の現状だ。

 

レッテルを貼られてしまった人は、自分ではなかなかそれを剥がすことができない。だから、貼られないようにみんな気をつけて生きている。そして、自分が貼られていない限りは、貼られている人を見るとき、そのレッテルだけを見て、本人に向き合おうとしない。思考が停止している。

 

この映画には、レッテルを括弧に入れて、その人と向き合おうとする人が何人か出てくる。狂っていないことの条件の一つは、そういう「態度」をとれるということだろう。

 

思考を停止する最大の理由は、危険や面倒を回避するためだろう。しかし、危険や面倒に向き合うことが、生きるということなのかもしれない。

 

「用事があるから、無理」という人も多いだろう。いや、どんなに時代が進んでも無理なときは絶対あるだろうが、向き合うことが可能な時間を増やしていきたい