戦後、浅草の言問橋の周辺、隅田公園辺りに、「蟻の町」と呼ばれる屑拾いを業とする集落があったそうだ。屑拾いをバタヤと呼んだ。
みな落ちて、ここへたどり着いた。そんな場所だ。そして、みんなしょうがなく、バタヤを始める。
1回目は、みな恥ずかしさとの闘いらしい。でも、その後は、どんどん愉しくなってくる。
世間からの差別の目はあったが、幸せに暮らしていたようだ。ここを抜け出して、まっとうな暮らしをしたい、という気持ちはそれなりにあったが、果たして「まっとうな暮らし」なるものが、これほど幸せなのか?という疑問は、当人たちにも既にあったようだ。
むしろ、「まっとうな暮らし」側の方から、バタヤへの転向を検討した方がよい人はいっぱいいるかもしれない。