gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

助ける、ということ

ぼくらは「他人様に迷惑をかけないように生きなさい」と教えられて育てられた。だから、誰かが何かの困難を抱えて自分ではどうしようもなくなったら、「家族でなんとかする」ことで乗り切るしかない、と信じて生きてきた。

 

でも、核家族化が進んでいる今、少ない家族で助け合えることには限界があるし、元々、頼れる家族がいない人もたくさんいる。困難を抱えた人を簡単に「孤立」させてしまう社会になってしまっている。孤立が生んだ悲しいニュースが後を絶たないのが今の社会だ。

 

人を孤立から救うには、「他人様に迷惑をかける」というハードルをどんどん下げていって、気楽に「助けて!」って言える社会をつくることが大事だ。

 

では、助ける側はどうか?

 

今自分は関係ないと思っている一般の人がどれだけ助ける側に回れるか、で今後の社会の「孤立」を生む数をで減らしていけるはずだ。

 

ぼくらは「助けて!」と言ってはいけないと育てられたが、幸い、「助けてはいけない」という教育は誰も受けていない。

 

例えば、道を歩いているときに困っている人に道を尋ねられて立ち止まったら、躊躇なくその人を案内する人が多いように思う。そのときに多少の予定が入っていても、そうしてしまう。基本的に、人は突然出会う偶然を歓迎する生き物だと思うし、目の前のその人に喜んでもらえるならもっとうれしい。どこかワクワクする。

 

だが、こういうことを役割として分担されたとすれば、事象はまったく変わってくる。ぼくだったら、残念なことに、ワクワクする気持ちが減ってしまう。大変だなあ、という思いが頭をもたげてくる。ゆえに今のところ、どんなボランティアにも登録するつもりはない。

 

そういう心が一般的なものだという確信はない。だが、「助けてあげます」というプラカードを持つよりも、「助けて!」が先行した方が、どうやら、ウィンウィンの関係は成立しやすそうな気がする。

 

システムの枠にハメられない方が、人は「助ける」という行為を愉しめる生き物だとすれば、それは一般の人が助ける側に回るための一つの大きなカギになりうるのではないか?

 

 

「助けて!」と叫ぶにはとてつもない勇気がいる。ーーーそれでも、絶対、叫んでみる価値がある。