gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

ミミさん

1998年にグリッドフレームを立ち上げたとき、その拠点は江東区枝川のリサイクルショップだった。

 

そのオーナーだったミミさんが、失礼ながらボロボロの古い倉庫の2階の広いスペースを月5万円で貸してくれた。

 

そこは、フリーター、アーティストの溜まり場になっていて、やはり場所を借りて制作活動をしている人もいた。

 

ぼくは、会社の立ち上げ当初で一人でモノづくりをしていたが、ある日ミミさんに呼ばれた。

 

「実は最近、あなたのお祖父さんとお話してるの」と言う。

 

ぼくの祖父はぼくが16歳のときに他界していて、そのときのぼくは33歳だったが、ミミさんはそういう力がある人なんだろう、と思ってあまり驚かなかった記憶がある。

 

ミミさんは、そういう不思議な雰囲気を醸し出している人だった。

 

「実は、あなたの親戚の若者のことをお祖父さんはすごく心配してるの。あなたに会ってやってくれないかって。」

 

ミミさんが言っているのは彼のことだろう、とすぐにピンときた。でも、居場所は知らない。

 

「探すのを手伝えるって言ってる。」とミミさんが言った。そこで少し耳を澄ますようなしぐさをして、「住所は、西・・・っていう文字から始まるって。」

 

帰宅後、実家の熊本に電話して彼の住所を、彼の親に尋ねてもらうと「西新宿にいる」と。

 

彼とは熊本で会ったのが最後だった。「久しぶりに会わない?」と電話をして、ご飯を食べた。

 

彼はフリーターをやっているという。「じゃ、俺の会社で働かない?まだ決まった収入源はないから、自分の食い扶持は自分で稼げ、って会社だけど。」

 

そんなふうにグリッドフレームのスタッフ第一号は決まった。

 

ミミさんは彼の名前を「信十朗」と名付け、彼も喜んでその名前で名刺をつくった。

 

信十朗は友人たちとアパートで共同生活をしていたが、彼の家に問題があることをミミさんが知っていた。家にいると、体の具合が悪かったり、何か嫌なにおいが漂ったりしていたらしい。そのままだと、悪いことが起きる、と。

 

そのアパートでは、過去に母子心中があり、その霊がまだそこにあって、信十朗たちの生活の邪魔をしているという。ある夜、ミミさんは霊を祓う儀式をリサイクルショップの敷地内でやってくれた。

 

なんとまあ、大迫力だった。信十朗が泣き出したくらいだ。

 

その後、信十朗の調子はよくなった。ひとまず、祖父も安心したと思う。

 

他にもいろんなエピソードがある。とてもとても稀有な人だった。

 

そのミミさんが、死刑囚の永山則夫氏と獄中結婚した人だとは本人からも聞いていた。

 

ミミさんは彼を「永山くん」と呼んでいた。ぼくはそれ以上、そのことを知ろうとはしなかった。

 

永山則夫氏の死刑執行は1997年だったことを、今日知った。スタッフとの打合せの中で、ミミさんの話が出てきたために、検索してみたのだ。

 

まだその死から1年も経たない中で、ぼくはミミさんに会ったのだということを知った。永山氏とミミさんの人生は、ぼくら普通の人では到底想像することができないくらいに過酷を極めていることを知った。

 

その不思議な霊能力も、その中で身についたものだろう。

 

アメリカにいたミミさんが、獄中の永山氏に初めて手紙を書いたときも、きっとミミさんには手に取るように永山氏の状態を見通すことができたのだろう。

 

ミミさんは、系譜図を見るだけで、この人は二つ目、この人は三つ目、あら、この人は一つ目・・・と人の洞察力なるものを言い当てる人だった。ぼくの家系図を書かされて、彼女がそのように先祖の名前を指でなぞりながらつぶやいたのだ。

 

二つ目とは、見た目通り、目が二つある人。見たままに、世界を見ることができる。

 

三つ目とは、二つの目の他に、心眼を持っている人。私の解釈では、洞察力の高い人だ。

 

一つ目とは、逆に、世界を一方向からしか見れない人。目は二つあるはずなのに。

 

人を三つに分けることができるかどうかは、ぼくには分からない。ぼくは、ミミさんではないから。

 

しかし、どんな罪を犯したとしても、ミミさんは死刑囚・永山則夫氏の魂が尊く美しいものであることを揺らぐことなく信じることができる人だったのは明らかだ。

 

ミミさんの信じる力がなかったら、永山則夫氏の、第2審での無期懲役への減刑はなかっただろう。それが最終審で理不尽によって覆されたとしても。

 

ミミさんのような能力はなくても、信じる力は持つことができるはずだ。

 

ミミさんのような揺るぎない信念を、ぼくは持っているだろうか?