コロナ後の空間はどうなるか?というキーワードで検索すると、隈研吾のインタビュー記事が載っていた。(日経ビジネス)
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「誰もが好きな場所で暮らせる」といった自由がテーマとなり、テクノロジーがそれを可能にするのではないでしょうか。
(中略)
今日の技術ならば都市部に通勤しなくてもリモートワークで仕事ができます。今回のコロナ防疫で実際に多くの人が体験し、そのことを理解したはずです。これからは「一極集中主義」と「経済活性化」が一体であるという考え方が成立しなくなります。コロナ禍は20世紀型の構造から脱却するきっかけになるでしょう。働き方や暮らし方などについて、人の意識も変わらざるを得ません。
(中略)
徒歩や自転車で移動できる圏内で働いたり、生活したりするヒューマンスケールのコンパクトシティーが求められるようになるでしょう。
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ぼくらの仕事で言えば、工場(工房)で作家的にモノをつくりあげていく部分や現地で空間をアセンブルしていく部分は、なかなかリモートワークというわけにはいかないが、その他、設計・打合せなどについてはできそうだ。
自宅の近くのカフェで働くなどは、今までもときどきやってきたことだ。
社会全体にリモートワークが定着してくれば、建物はずいぶん空いてくるはずだ。そうすれば、広々とした工場を交通の便の良い場所に確保することができる時代になるかもしれない。
オフィスはたまに集まるためのもので、SOHOでかまわない。
職場の執務室のみならず、学校の教室もなくなれば、そこで自然とたきつけられる競争心もなくなるかもしれない。そうして優越感や劣等感が生まれるきっかけがなくなれば、自分の本質に目が向き始めるのではないか?
20世紀から世界を席巻してきたあの均質な空間に身を置く必要がなくなり、この世からそれらが消えていくならば、間違いなく「とりかえのきかない世界」は近づいてくる。