gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 ザ・トライブ

2014年。ウクライナ

 

登場人物が全員聾唖者で、全くセリフがない映画。聾学校を舞台に、といえば、日本であれば感動物語が予測できる設定だが、この映画は悪の組織の映画だ。

 

石川真吾さんという映画監督の批評から抜粋させていただくと、・・・

 

<「トライブ=族」とは聴覚障害者や聾唖者たちの犯罪組織のことである。障害者の犯罪を描いた映画は日本ではなかなか作られない。日本のエンタメ界では障害者は弱者であり、困難に打ち勝つ「いいひと」でなければいけない。ポリティカリーコレクトネス(政治的正しさ)の観点からなのか日本社会を覆う空気からなのか、障害者を悪者として描く作品にはまずお目にかかれないのだ。柴田剛監督作品『おそいひと』くらいではないか。>

 

障碍者にも、善い人もいれば悪人もいる。そんな当たり前のことを、ぼくらはすっきりと呑み込むことが許されない社会を生きている。日本人は人が好い、と言われる所以かもしれない。だからといって、それが悪いことなのかどうか?知ることは大事だが、その偏った性善説は、生きることをスムーズにしているだろう。これが内部に閉じ込められる、という事象だ。

 

実際に障碍者に出会ったとき、安易な性善説は簡単に突き崩される。ようやく当たり前のことに気づかされる。外部に出会うとは、こういうことだ。

 

だから、国は障碍者をどこか目に触れない場所へ閉じ込めようとする。ぼくらは、本当を知らずに、イメージに閉じ込められた世界で平和に生きている。

 

石川氏はさらに語る。

 

<映画の文法は映画のテーマとリンクされて作られるべきものなのである。『ザ・トライブ』は字幕も台詞も音楽もシーン内の編集もないが、方法論とテーマが見事に合致し、じつに豊かに物語を紡ぎだしている。 >

 

「文法とテーマとはリンクしてつくられるべきもの。」

 

これは、すべての事業についていえることではないか。ぼくが空間をつくるときに、もっとも大事にしているところだ。

 

ここにスキがあれば、嘘の空間になってしまう。