gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

時空

時の経過とともに朽ちていくもの。

 

ある空間を新しくつくる。それが、古びていく。人が住まなくなると、空気が動かず、ほこりが積もり、湿気がたまり、カビ、虫の温床になり、さらに急速に朽ちていく。

 

朽ちていくことは、人にとって一般に、不快なことだ。人はそのようなものを遠ざけたいと思う。

 

だが一方で、朽ちていくものは、その単独性を露わにし、振り向いた人間の心を捉えて離さない。

 

人がいかにその空間と関わったか?朽ちていく様は、明白にそれを表現している。新しいままに保ちたいという心のみが美しいわけではない。

 

あらゆる空間がこのような時間の旅をする。

 

そこに生きる人間としては、空間は常に、自分次第でとりかえのきく世界ととりかえのきかない世界を自由に行き来できる空間であり続けることが重要だ、と思っている。

 

時間による空間の変遷の中に、人為ではないところに、そんな瞬間はあると思う。

 

以下は以前、書いたものだ。

 

「ぼくたちグリッドフレームは、空間のつくり方によって、これら2つの世界を行ったり来たりする装置をつくれると考えており、これまでにも、それを根源的なテーマとして様々な空間をつくってきた。

 

例えば、カフェには心休まる環境が必要だ。ぼくらは、何も考えたくないときには、とりかえのきく世界の、たくさんの人間の中に紛れるような環境に身を置きたいと思う。その方が心が休まるからだ。そのような空間は、どこにでもあるような内装でかまわないだろう。

 

けれども、その空間のディテールには何か見慣れない、不思議で複雑な質感があるとする。それは、ぼーっと眺めれば、意識の中に入ってくることもないけれど、焦点を合わせれば、思わず引き込まれて見入ってしまうようなものだ。カスタマーは、ぼーっと眺めれば、風景として見えてくるため、とりかえのきく世界に留まることができ、焦点を合わせれば、そこに一対一の関係が成立し、とりかえのきかない世界が開示される。カスタマーは、選択的にどちらかの世界に属することができるのだ。」

 

どのような空間もこのようにありたい。日々、変遷していく空間。最初は、新しい空間。壊されるときには、全ては朽ちて、もう手遅れの空間。本質の変遷の瞬間を見つけることができれば、そこで手を加えて、最も価値の高まった空間を実現できるのではないか?