切実なところからくる事業は魅力的だ。
ぼくの場合はどうか?自問する必要があるということは、ぼくにも切実感はさほどないことの証明かもしれない。それでも、それをここに書き記したい、という衝動に駆られている。
捨ててしまうこと、忘れてしまうこと。そんな不義理を繰り返しながら生きることに対する懺悔の気持ちと、だがその被害者(物)だからこそ獲得する美しさを見いだせることへの安堵の気持ち。
ぼくもまた、捨てられ、忘れ去られることに対し、静かな気持ちになれる。そう、忘れ去られゆくものはどれも微笑んでいる。
この微笑みを感じとることが、続いていく命のリレーの意味ではないか。