陽向と学校へ向かうのは、相変わらずギリギリの時間だ。
ランドセルを後ろから押しながら、「急げ、急げ」と歩く。
陽向にとっては、なんとかやり過ごそうとする時間に過ぎなく、なくてもいい時間だ。
いわば、死んでいる時間だ。生きているのに、もったいない。
ぼくも、暑い中を歩いたりするとき、とりあえずやり過ごしたい時間になってしまっていることがある。
周囲から感じようとする心は閉じられている。
いつも五感を研ぎ澄ませて、美しい心持ちで歩きたい。
また、何かを生み出したいと思うなら、そんな心持ちのときでなければ無理だ。
生きている時間でなければ。
エースケさんと最後に会った日の帰り道、駅までの公園の道で、空を見上げながら歩いたこと。
そのような心持ちにさせてくれる人に、ぼくは深く感謝したい。