肉売り場で、タイ産鶏肉と国産鶏肉の単価の違いを見ながら、生前この鳥はどんな鳥だったんだろう?と考え込む。いや、一つのパックの中には複数の鳥の肉が入っていて、これらの鳥は、それぞれどんな性格だったのだろう?などと考えてしまうと、きりがなくなる。
動物の生前の個体差への意識を取り払うことで、商品となって、人間はそれをおいしく食することができる。性格がよい牛や悪い牛がいるのが現実だとしても、そんなことにかまってはいられない。
食べることをやめないのであれば、「感謝する」ということ以外に、自分を納得させる方法はない。
食べたものの生命の価値と、同等の重さの「感謝」。
その気持ちは、無限に心から生み出せるものなのかなあ・・・。