「創造性の連鎖」は分かりにくいと言われている。
それは、空間に対して、ぼくが求めているものが、世の中の一般的なそれとは、逆だからである。
「空間は、開いていなければならない。」
ぼくは、旅の経験などから、人々が最も良い状態でいられる空間の条件は、これだと確信した。
そんな空間では、開いている方向へ向かって、心がどこまでも遠くへ旅することができる。
開いているとは、ぽっかりと抜けていることだ。
よく考えられた空間として、一分の隙も無いような空間をつくってしまえば、それに感心することはあっても、その空間は閉じられて、自分を生かすような空間にはならない。
だが、一人一人の「つくる」という行為は、往々にして、突き詰めれば突き詰めるほど、閉じる方向、一分の隙もないものをつくる方向を向いてしまう。
ならば、複数の人間でつくる「空間」は、どうか。
個々にバラバラの「つくりたいもの」があって、それぞれが誰も手を抜くことなく、ひとつの空間にそれを集約させるとすれば、その空間は個性の違いによって、必ず開いた空間になるのではないか。
ぼくが実現したいのは、そんな空間だ。
コンセプトストーリーによって、ゆるく束ねられるそれぞれの創造性が連鎖していく。
また、そこにはそれぞれのつくり手の人生として見て、全力で生きることのできる場があるのではないか。
そして、人を生かしてつくられた空間こそが、人を生かす空間になるのではないか。
「創造性の連鎖」は、シンプルに全力でつくることの連鎖だ。