ぼくの理解では、個人主義とは自分を突き詰めることによって、世界を知ることができる、と考えることを言うのだと思っている。
だから、世間に起こることすべてを、自分に関連付けられる、と考えられる。それは、責任という概念にも影響する。
自分自身を強くすることで、自分に起こる問題は乗り越えられると信じること。もしくは、乗り越えようという意志を持つこと。それが個人主義だ。
ぼくは、そんな考え方をかっこいいとする世の中で青年時代までを過ごしたのだと思う。
パラダイムシフトは、ぼくがアメリカへ行っている間、1990年代に起こったのではないか、と思う。
個人では乗り越えられないことがある。いや、どんなことも個人では乗り越えられない。
1996年にアメリカから帰ってきたら、なんだか、そう言っているように聞こえた。
12年を一世代と考えたとき、一世代下の人たちと通じ合えない部分があると感じる。
それは、青年時代を過ごした世の中のベースとなる考え方が違うからではないか、と思う。
そして、またゆり戻しが起こっている。もう一世代下の人たちからは、ぼくたちの世代とは少し違うかたちでの個人主義的なものを再び感じる。
あくまでも、私の印象での話だけれど。