神もまた矛盾として実存する(森敦『意味の変容』)という言葉にぼくは惹かれつつ、しかし、理解をできずにここまできた。
これまで観てきた数百の映画の中で、「これでも神はあるだろうか」と問うことを主題とした映画がいかに多かったことか。
いわれのない不幸が存在する、とした悲劇も含めて、人間は神との関係を思い巡らし続ける。
神に救いを求めても神は現れず、ふりかえって過去を仰ぎ見ると、神の存在を認めざるを得ない。
ぼくらはそんな現実を生きているのではないか。
神はぼくらに絶望の淵に立つことを要求する。
そして、救いを求める心の一切が意識の底へ沈んだとき、はじめて神が現れる可能性が出てくる。
そうなると、ぼくらの課題はいかにして外からの救いを意識から消し去るか、に集約される。
たとえ無理に見えたとしても、立ち塞がる壁を自力で乗越えることのみに意識を集中する。
絶望の中で、未来へ進もうとする意志を持てるか。
ぼくらは常にこれを試されている。