1957年。アメリカ。
裁判所の一室で殺人事件の陪審員たち12人が語り合う。
殺人現場の話をするのに、現場の映像は用意されない。カメラは一室から一度も出ることなく、被告人の少年の圧倒的不利な状況は徐々に覆っていく。
話のテンポがよくて、度重なる票の確認で無罪票が増えていくさまを見るのは痛快だ。
ただ、映像による状況説明が乏しいのだから、このような映画は観る者に集中力を要求するだろう。ぼくも、一言も聞き逃すまい、と集中して映画を観た。
確かに12人はそれぞれが怒っていた。だが、その怒りがどこに向けられたかは、それぞれ違うように思う。
それが民主主義というべきか?