パリへは行ったことがない。フランスに1週間滞在しながら、ピレネー山脈の村を離れなかった。そのとき修士論文を書いていて、その方が集中できると考えたからだ。
パリが舞台となった映画は数知れないが、この映画はパリが舞台の18本の短編でできている。パリづくし、である。
観終わって思うのは、どうやら私はパリが苦手だ、ということだ。自分がそこにいて愉しめる気がしないのである。
これは、パリが嫌い、という意味ではない。パリを愉しめる人間になりたいが、なれていない、ということに過ぎない。
この映画の中で、パリにいることの「孤独」を描いたものがいくつかあった。これらの映画の登場人物たちは、パリを単純には愛していないだろう。
そして、私もパリに暮らせば、彼らと同じように自分を透明人間のように感じ、孤独にさいなまれるに違いない。
自分の周囲には明確な外部との境界が意識され、その意識が強くなれば強くなるほど、自分の内部に閉じ込められるだろう。
わざわざそのような思いを抱くために、パリに行く必要はない。
だが、それでもパリへ行ったとしたら、先程の登場人物たちが逆説的にパリを愛しているように、私もパリを愛するようになるだろう。