gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

機動戦士ガンダム

必要があって、機動戦士ガンダムについて、本でにわか勉強した。漫画がたくさん描かれた、外で読むにはちょっと勇気がいる本だ。

アムロやシャアという名前は知っていた。柔道部の同級生にドムと呼ばれていた者がいて、それがガンダムに出てくるモビルスーツの名前だということも知っていた。予備知識はそのくらいだ。

本の中で、ニュータイプという言葉がたくさん出てきて、さっぱり想像がつかなかったのでwikipediaで調べてみた。

いきなり、「はっきりした定義は困難」と書いてある。そのうえで、ニュータイプの概念の本質として、次のように書かれている。

ニュータイプの概念の本質は宇宙空間で生活するようになった人類が、それに対応するために進化していったものであるとされている。元々はジオン・ズム・ダイクンが提唱した概念の一つであり、宇宙という広大な生活圏を手に入れた人類は洞察力、認識能力が拡大し、肉体的、精神的にあらゆる物事を理解することができ、それが全人類に広がった時にかつてなしえなかった相互理解が可能となる、という主旨であった。」

そうか、ニュータイプとは、進化した人間なのか。人間がさらに進化すると、並外れた動物的直感と空間認識能力を持つようになり、離れていても他者やその状況を正確に認識し、意思疎通ができるようになる、という設定。そのすばらしい能力が兵器として使われる。アムロがこの能力を発現したのも戦闘の中である。

また、目の前で親を殺されたり、など強度のストレスをきっかけに、この能力に目覚める者が多い、とされる。・・・

振幅の激しいドラマが容易に想像できる。子供たちは、この戦争アニメから、何を得るのだろうか。


アニメをつくるには大きなお金が動く。だから、できるだけたくさんの人間を惹きつけなければならない。連続物は最終回まで視聴率を稼ぎ続けることが主目的になる。だから、最終回は収拾がつかなくなったとしてもかまわない、ってところがあるのかもしれない、と想像する。

ニュータイプの定義がはっきりしないのも、そんなところに理由があるのかもしれないし、物語の進行に伴って主題が変化していくのも、いろんな要因に引っ張られながら話がつくられていくからではないだろうか、と思う。そうであるとすれば、むしろ、そのこと自体、おもしろい。

ちばてつやが「あしたのジョー」のジョーが、途中で勝手に動き始めた、というようなことを言っていたが、連続物には多かれ少なかれそのようなところがあるのかもしれない、と思う。(ちばてつやは、全く違う意味で言ったのだろうが・・・)


ともあれ、私もニュータイプになりたい。

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