gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 トレーニング・デイ

その男は正義感の強い警官だったが、巨悪を倒すための手段として、悪に手を染めていく。それはありか、なしか?映画が問うているのはそこだ。

これは、暴力を平和を導く手段としては肯定するか、という問いに似ている。どの戦争も大義を掲げて始まる。戦争はまさに「巨悪を倒すための手段」である。

みな、「戦争反対」の側にいるようでいて、そこはどちらともいえないところではないだろうか。

もうひとつ、気になったこと。それは、「悪」についての想像力である。

例えば、巨悪とは、麻薬の売人の元締めだったりする。もしくは、押収した金を横領する警察のトップだったりする。大抵は金持ちで、権力者だ。どの映画やドラマを見ても、巨悪とはこんな程度で、種類が少ない。もう、十分飽きてしまって、凄みがない。

このような映画から底が浅い感じを受けるのは、それが原因だろう。

ストーリーの背景が固定化されているのが、アメリカ映画一般の特徴だろう。私にとって、よい映画は背景が揺らいでいる。映画界のスターの存在も、固定化の要因のひとつだ。よい映画は、無名性が高く、すべてが揺らいでいて、観るたびに別のものが見えてくるような映画だ。

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