父が亡くなってから、あっという間に四十九日経ち、熊本へ帰った。
浄土真宗では、四十九日の法要で、死者は浄土へ旅立つ、という。
遺族はしかし、実感が湧かないままだ。こたつを囲んで家族で話をしていると、横には父がいるような気がしてしまう。
誰の法事でここにいるのか、を何度も自問するほどだ。
実感とはなんだろう。どのように感じることを実感と呼ぶのか。そういえば、それすらもわからないのだ。
きっとこれからも熊本へ帰ると、父がそこにいるような感覚は消えないだろう。
そして、それはそれで幸せなことだと思う。