gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

中国人について

ベンヤミンが「広州の劇場の火事」というタイトルで書いている中国人の姿は、現代の中国という国を考えるのに役に立つ。

その火事は1845年に起こった事件なので、江戸末期の日本人について書かれたものを読んで今の日本を語るようなものではあるが、それでも十分に考える価値のあるものだと思う。この火事では、2000人が逃げ遅れて亡くなった。劇場は、竹とむしろでできていたそうだ。ベンヤミンは、演者の芸のレベルの高さを強調したうえで、次のように述べている。

「まさしく中国的なことは、中国では労働であれ祝祭であれ、大がかりな催しという催しが、莫大な数の人間を予定していることである。大衆のひとりだという感覚は、中国人の場合、どんなヨーロッパ人の場合より、はるかに強い。ぼくらには想像もつかぬほどの謙譲の徳は、中国人の主要な徳性だが、それはそういう点から発している。」

「かれらの偉大な賢者である孔子老子の教えにおいて、この謙譲の徳は厳密に基礎づけられ、(中略)市民たちにこの謙譲の徳を教えると同時に、自分らの所属する大衆の生活をらくにしてゆくようにふるまうことをも教えて、国家を、とりわけその役人たちを、大いに尊重するようにもさせている。」

中国の役人たちが受けなくてはならない試験は、「詩や文学の総体に、そしてわけても、ぼくがいま言及した賢者たちの教えに、間違いなくなじんでいることを、要求する。」

ある中国人は、ベンヤミンにこう語った。

「私たちの国では、各都市のもっとも堅固で立派な建物は役所の建物であるべきだ、と考えられています。そのつぎに聖堂です。しかし娯楽の場は、人目を引くようなものであってはなりません。そんなものが人目を引くようだと、その都市では秩序と労働が二のつぎにされている、と思われかねませんからね。」

そんなわけで、広州の劇場の火事は、大惨事になった、という。

ベンヤミンがこれを書いたのは、1929年〜1932年ということだから、中華人民共和国が建国される20年ほど前のことである。ここでは儒教の影響が強調されているが、1966年からは文化大革命なども起こって、儒教が否定された時期もあり、私が中国を訪れた1988年は、中国人からおよそ謙譲の徳という徳性を感じることは稀だった。まだ混乱を引きずっている時期だったのだろう。

それから20年余りが経ち、当時は想像もできなかった経済大国への道を駆け上っている現代の中国人は、どんな人たちなのだろう。

今も「大衆のひとりだという感覚」の強い人たちであれば、私たちの空間づくりのコンセプトである「創造性」に共感してもらうことは、難しいことかもしれない。

しかし、ベンヤミンのように、フェアな視線を向けることによって、きっと学ぶことがたくさんあるのだろう。そうして、自分を進化させることもできるかもしれない。