gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

地方の風景

どちらへ向けて走ってもいい。東京から車で1時間も行くと、地方と呼ばれる場所に至る。

東京で暮らすと、日本の大部分は地方と呼ばれる場所であることを忘れてしまいそうになるときがあるが、私も地方と呼ばれる場所の出身である。

私が好む好まぬに関わらず、店舗の仕事は、都会に多い。それは、「空間の質」という言葉の価値が、地方には存在しないに等しいからである。

地方に入ると、投げやりな風景が続くことが多い。子どもたちは、そんな風景を見ながら育つ。大人になったら都会へ出たいと思うのも無理はない。

そうなってしまうことに、必然性はない。お金と「空間の質」は必ずしも比例しないからである。

バブル期に、地方に大きな施設を有名建築家につくってもらう、ということが流行ったけれど、風景を貧しくしているのは、道端にあるこまごまとしたものである。そして、地方に育つ子どもたちが日常的に目にするのも、そのようなものたちである。だから、大きな施設などにいくら金をかけても、地方の風景は豊かにならない。

地方の風景が急激に貧しくなったのは、アスファルトの道路ができたころからだろう。時とともに変化をしない様々な材料が登場してから、全国で簡単に機能を手に入れられるようになったと同時に、機能以外のものがすべて犠牲になったのである。

昭和初期までの風景は、どの写真も素敵だ。それは、すべてのものが同時に年を取っていく世界だったからだろう。

地方に美しい風景を取り戻すために唯一必要なことは、「空間の質」という言葉の価値を確固として存在させることである。それができれば、あとはそんなに難しい話ではない、と思う。