40になってから、ぱったりと見なくなった夢がいくつかある。
それまでは、同じような夢を数ヶ月に一度の割合で見た。
中学校の夢。体育の授業があるのに、体操服を忘れてしまい、やばい、と思っている。いつも、やばい、と思っているだけで、その時間にならない。したがって、叱られるところまではいかない。
高校の夢。今日の時間割が分からない。何の授業であれ、予習もしていなければ、教科書すら持っていない。やばい、と思っている。しかし、授業中、先生に指されることはない。なんとなく、無事に過ぎていく。
やはり、高校の夢。今日、もしくは、もうすぐ中間テスト。数学をこの学期になってから全く勉強していない。やばい、と思っている。しかし、テストの時間になることはない。
すべては、準備ができていなくてやばい、と思っている夢だ。そして、どの夢もそれに対する罰をもらえないために、明日もそのように過ごしてしまうであろう、といういやな予感がつきまとう。だんだんと手遅れになっていくんだろうな、と。
おもしろいことに、見る夢は常に日常を舞台としていて、例えば、大学入試など、特別な日が舞台になることはない。そう、今日を積み重ねることによって、僕はどんどんダメになっていくかもしれないね、という夢である。
40になるまで、これで本当にいいのだろうか、と無意識に悩み続けてきたのかもしれない。
不惑の40、とはよく言ったもので、ここ数年はもう吹っ切れているのだろう。バカボンのパパのように生きるのみだ。「これでいいのだ。」