gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

教える、ということ

「技術は教えられるものではなくて、盗むものだ」

 

職人の世界では、よく言われる言葉だ。

 

直接的に誰かに対して教える、という行為は、ぼくには向いていない。

 

大学時代のアルバイトでやっていた家庭教師もそうだった。その頃の教え子には申し訳ないけれど、振り返るとそう思う。

 

元を辿れば、ぼく自身まず、教えられることに向いていないのだ。

 

直接自分に向けて教えられる内容を素直に受け入れられないところがある。

 

本に書かれていたり、講演で大勢に向けて話されたりすることは、自分が主体になってそこにさまざまなフィルターをかけることができる。

 

そうして、安心して自分の中へ入れる。

 

自分の適性に合わせて、自分の中へ受け入れていく。

 

それは、つまるところ、冒頭の言葉に近い。

 

だから、人に対しても、直接的には教えることができないのだ。

 

 

ぼくが勝負できるところ

1986年春。前の年に東アフリカからA型肝炎を持ち帰って入院。親が掛けていてくれた保険から1日5000円が給付され、これを資金にタイへ行った。偉そうなことは何も言えない。

 

ぼくは京大土木工学部の大学生で、バンコクの駅で例によって当てずっぽうに駅名を指さした結果、東北部コンケーンへ。長時間列車に乗った後、コンケーンへ着くとあまりに英語が通じないため、コンケーン大学で学生に話しかけることにする。

 

話しかけてみると、相手も土木工学部の大学生。今からバスに乗って、ある村の農業支援のために小さなダム(水溜)をつくりに行くのだ、と言う。一緒に行かないか、と言ってくれたから、二つ返事でホテルで荷物をまとめて、バスに乗り込む。

 

突如、彼らとの2週間のキャンプ生活が始まった。

 

村へ着くと、スコップで穴を掘り、バケツリレーで土を外へ出す。バケツリレーが炎天下の中、延々と続く。

 

穴が完成すると、二人で対になって丸太をポンポン落として土を固める。

 

鉄筋を曲げて、カゴを組んで穴に設置し、コンクリートを流し込んで完成。

 

ぼくは、鉄筋を曲げるところまでの参加だったが、彼らの働きぶりには感心した。村人たちもみんな出てきて参加。学生には女の子もたくさんいたが、何時間もノンストップで作業を続ける。いちばんヘトヘトだったのはぼくかもしれなかった。

 

村への総合的なボランティアだったから、コンドームの使い方を教えたり、疫病対策の注射をしたりもした。大学生たちの手際のよさに感心しながら、同行した。

 

大学生たちは皆まじめで優秀で、勉強する環境さえあればどの国もいつか経済面でも日本と肩を並べるようになると思った。

 

数十年が経って、実際にそうなった。それは、あたりまえのことで、すばらしいことだ。

 

夜になると、連日のように、火を囲んで村人もみんな集まって歌ったり踊ったりした。ぼくは、大学の先生に「トシ、なにか歌ってくれないか」と言われて、そのころタイでも知られていた日本の歌謡曲をいくつか歌った。

 

シーンとなって、歌い終わったら大きな拍手が起きた。それから、毎晩のように歌を頼まれて、ぼくはちょっとしたスターになった。

 

いろんな国を旅してこんな経験を繰り返しながら、だんだんと、ぼくが世界と勝負できるのは、学業よりも感性の部分だと思い始めて、今のような自分にたどり着いたのかもしれない。

 

夢のような時間を、そんなふうに思い返している。

 

 

 

収穫

今日は畑で今までで最高の収穫。トマト、ピーマン、ししとう、スイカが特にたくさん取れた。

 

土、太陽、水の力はすごい、と改めて感謝。コロナの時代も変わらぬ自然の力。むしろ、人間の生産活動がスローになったおかげで、自然の力は増している。

 

今後も、自然に向き合う時間を増やしていこう。

 

 

 

コロナの8月

いつもなら夏休み最後の週末で、陽向は宿題に追われているところだ。

 

というより、親二人がそのお膳立てに追われているところだ。

 

今年は8月1日から24日が夏休みと変則的で、すでに2学期が始まっている。

 

なんとなくこの社会を浮遊している感覚。

 

区切りをつけることが、学校の大きな存在意義だったと気づいた。

 

 

 

映画 まひるのほし

1998年。佐藤真監督。飯塚聡助監督。

 

3つの知的障碍者施設の輝くエネルギーを捉えたドキュメンタリー。

 

ぼくは、ちょうどこの頃に、3つの施設の中の一つ、平塚・工房絵に出入りし、アートの展示会のお手伝いや作業デスクの制作をさせていただいていた。

 

この映画の主人公の一人、しげちゃんとも何度も会った。助監督の飯塚さんとも会った。

 

20年以上が過ぎ、しげちゃんが亡くなったと聞いて、もう一度この作品を見たいと思った。

 

しげちゃんは、ぱっと見、障碍者には見えない。読み書きも、話もできる。感情が昂りやすいところがあるが、すぐに反省する。やさしい。

 

若いお姉さんが好きで、それを公言し、自己紹介をすることを生き甲斐にしている。そして、「しげちゃん」と呼んでほしい。それがゴールだ。

 

ぼくらの大半はその行為に共感できるところがある。子供だったら、かわいい、と思う行為だ。

 

だが、しげちゃんはもう大人だ。突然、呼び止められて自己紹介される女性の中に、「怖い」と感じる人がいても不思議ではない。

 

障碍者と健常者。その境界が引かれているとしたら、ちょうど境界の上にいるのがしげちゃんだ。

 

内部。外部。その境界。その境界に近ければ近いほど、生きづらい世の中だ。

 

だが、境界に近づくことによって、生きる濃度も増す。

 

そのころ、しげちゃんを眩しく見ていた。

 

まひるのほしは目に見えない。

 

 

 

 

褒められること

ぼくは両親に褒められて育った。

 

親になってみて、褒めて育てるのは簡単ではないことを知る。

 

こうあってほしい、という自分の夢想との闘いだ。

 

でも、褒められることが少ない中での褒められることの効果は大きいだろう。

 

その効果が、彼をまっすぐに育ててくれますように、と祈る。

 

 

 

起床

朝起きるのが苦手な陽向が、最近は6時に起きるようになった。

 

その後は、すぐに近所を走る。

 

こうして一日が始まると、いつものボーッとした陽向とは、違った陽向になる。

 

「今日は虫が鳴いているね。」

 

ぼくらがバタバタと急いで聴こえなくなっている音を陽向から教えられたりする。

 

 

本質

「本質と言いますが、本質って何でしょうか?」

 

そう私に返した方は、私より20歳くらい年上の方だった。

 

そのときにどう返したか、もう憶えていないが、今なら、

「本質はあると信じるべきもので、それを掴もうとアプローチすべきものだと思いますが、それを明確に掴むことなど永遠にできないものだと思います」

と返そうと思う。

 

内部は、果てしないものを心に思い浮かべることしかできないのだから。

 

 

手探りで収穫

8月に入ってからは、畑の作業は夕方と決めている。日も短くなってきたこともあり、終わるころには真っ暗だ。

 

暗くてよく見えないため、手探りで収穫。ものすごい勢いで雑草が育っているため、難しい。

 

だが、暗闇でスマホの電灯を照らしながらキュウリやトマトを探すのは、ばかげているのは承知だが、愉しい経験だ。こわい、こわい、と言いながら陽向も喜んでいる。

 

まだ青いトマトも、家の窓辺で日に当てると赤くなってくる。ちゃんと剪定されていない、野性味あふれる株に、小さなトマトがたくさんなっているのを、個人的にはとても好ましく見ている。

 

 

映画 風の外側

2007年。奥田瑛二監督。安藤サクラ

 

女子高生とやくざの恋。

 

安藤サクラの主演デビュー作は、主演女優が撮影4日前にキャンセルしたことにより、代役として成立した。

 

映画の中でも、代役としてコーラスのソロを歌うが、元々、彼女の顔は代役に向いている。

 

それは、能面のように、色のない顔をしているからだ。だから、どんな色の人間にもなれる。

 

他の俳優たちを見ても、全員その顔に色がある。彼らが倒れれば、代役が必要となるだろうが、代役として彼らはふさわしくない。

 

彼女がすごいのは、主役の代役に向いている、ということだ。憑依型と呼ばれている。役が彼女に決まってしまえば、誰が出る予定だったかなど話題にもならない。もうとりかえは利かなくなるのだ。

 

もうひとつ、憑依型でありながら、カットがかかるともう役抜けできている、ということ。こちらの方がより稀有な能力かもしれない。ここで役を引きずる人は、鬱になる俳優に多いように思うが、彼女には全くその要素がなさそうに感じる。

 

安藤サクラのような仕事を目指す人が増えると、きっと世の中はとりかえのきかないものにあふれ始め、自分の生きる意味を実感する人が増えてくるのではないか。

 

ひとつの道しるべになりうる存在かもしれない。

 

 

 

 

映画 かぞくのくに

2012年。ヤン・ヨンヒ監督。安藤サクラ

 

1950年代から1984年まで続いた北朝鮮の帰国事業。敗戦国・日本から理想の国・北朝鮮へ帰りたい、という今では想像しづらい思いを抱いて、多くの若者が北朝鮮に渡った。

 

16歳の息子が、日本にいる家族と離れて、北朝鮮へ渡る。だが、北朝鮮へ抱いた理想は壊れていく。心配する家族のもとに、息子が病気療養のために、一時的に日本へ返されることになったという知らせが届く。・・・

 

かぞくのくに。自分の兄を帰国事業で帰された経験を持つ女性監督は、その意味を「家族が本当の意味で一緒になれる理想的な場所」だと言っている。

 

では、ぼくら日本人はどうか?ぼくはどうか?

 

この主題は、国の体制のみの話ではなく、無限に広がりを持つ。

 

 

ブラックボックス

HPに突然出た不具合は、ネットで検索して解決できることもあるし、手を出せない部分が原因のこともある。

 

だが、毎回多大なエネルギーと時間、ときにはお金をここで消耗してしまう。

 

ぼくらの本分ではないために、どうにもやるせない。

 

いろんな理不尽があるが、分かりやすい理不尽な例である。

 

メインのHPに支障が生じ、ぼくの計画はストップを余儀なくされている。

 

痛い経験だが、この経験は必ず今後に生かそう、と誓う。

 

 

頭の中に描く構造

頭の中の構造が3次元になったということは、その構造に興味を持っているということだと思う。

 

高揚感がなければ、3次元になることはないだろう。

 

自分にとって高揚するものを、人に紹介するときには、その人の頭の中に3次元の構造が描かれるようにすることを心掛けるとよいのかもしれない。

 

 

人間はすごい

すごい人間がいるのではない。

 

人間はすごいのだ。

 

人間であれば全て、驚くべき高い能力を持っている。

 

70億のすごい能力の持ち主が、揃ってその能力を生かしたとすれば、どんな素晴らしいことが起きるだろうか?

 

能力を生かすとは、それぞれが好きなことに集中することだ。

 

つまり、好きなことを見つけることからすべてが始まる。

 

人によっては、80歳を過ぎて好きなことが見つかる人がいてもよい。

 

ゆっくり探せばよい、と思う。