gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

あの戦争がなかったら

YouTube安冨歩の「近代日本史講義」を見ている。

 

第一次世界大戦戦勝国である日本がその後、急速に崩壊していくのだが、鉄鉱石などの資源のない日本に総力戦は無理だったにもかかわらず、日本が軍事大国を目指したために、勝ち目のない第二次世界大戦に突入していった、という。

 

総力戦への道を選ばず、中国、朝鮮の領土を返還していれば、日本の国際的な地位はその後も高いままで、アジア諸国の恨みを買うこともなかった。

 

日本は第二次世界大戦で230万人を失っている。当時の人口は7215万人である。

 

失われた命がもしも失われなかったならば、戦争による痛みや苦しみや悲しみがなかったら、ぼくらはどんな愉しいことを実現できていただろうか?

 

アメリカはすでに1920年代から高度経済成長期に入っていたが、日本は1960年代に入った。40年遅れた。あの戦争がなかったら、アメリカと時を同じくして、経済大国として世界を牽引していたかもしれない。

 

今頃は、もっと幸せだっただろうか?教育はもっと自由だったろうか?ぼくの祖父、父の人生は全く違う「良い」ものになっただろうか?

 

ぼくらは、もっと愛に満ちた世界を生きているだろうか?

 

もし、それこそがよりよい世界だったとすれば、新自由主義を捨てる必要があるだろう。

 

 

 

ココルーム

大阪市西成区釜ヶ崎のゲストハウスとカフェと庭のあるNPO法人。日本の高度成長を支えた日雇い労働者のおじさんのまちは、今では高齢化が進み仕事もなくホームレスになる人も多い。この釜ヶ崎で地域に根ざした活動「釜ヶ崎芸術大学」「まちかど保健室」「夜回り活動」などを続けている。今日も、おじさんたちが入れ替わりたちかわりやってきて、旅人や居場所をなくした若者もやってきて、一緒になにかを学んだり、つくったりしている。

ココルーム代表の詩人・上田假奈代さんは、ココルームでのアート活動を次のように表現する。
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無名の存在、無名の人たちが無名の仲間とつくりあげた無名の何か。名前もなく流れつづけてとりとめもないから生き生きとしている。窪みに澱が溜まるので少し押し出そうとするが、澱が栄養になることもわかってきたので少し残す。岸辺の際の、陸の領分か水の領分かわからないような際のあたりのあいまいなところに名も知らぬ草が茂り、葉を落とし、生き物たちが跳ねたり這ったりしている。
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2019年には、ココルームの庭に井戸を掘った。高齢化するおじさんたちは何もしなければやがて存在を忘れ去られてゆく。おじさんたちには土木仕事に関わった人が多く、井戸掘りの先生として生き生きと地面を掘ったそうだ。その記録がまとめられ、次の世代へと伝えられていく。


ブリコラージュ(その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何がつくれるか試行錯誤しながら、最終的に新しいものをつくること)によってつくられたゲストハウスやカフェの空間を見るにつけ、サードプレイスをつくるには、それが最適な手法のひとつだと納得する。多様なエネルギーが一所に集まって、さまざまな人が自由な気持ちで過ごせる空間が実現している。資本主義社会に翻弄されてきたこの町の人たちの生を、この場所が輝かせているように思うと感動を禁じ得ない。SOTOCHIKUもブリコラージュの手法と重なる部分があり、ココルームの存在に励まされる思いだ。

協働

夜8時過ぎに土気を出て東京へ帰ろうとすると、車のガソリンが足りないことに気づいた。

 

それから、陽向にスマホを任せて、近くのガソリンスタンドまで道案内が始まった。

 

陽向の言うがままに運転すると、道がどんどん狭くなってくる。林道みたいな狭い道には、大きな水たまりがあって、まるで川を渡るような場所まで現れた。

 

そんな冒険みたいな場所になるほど、二人のテンションは上がる。

 

1時間も走ってたどり着いたガソリンスタンドは営業時間を終了していた。

 

再び、テンションを上げて、次のスタンドへ。

 

結局、2時間かけて、ようやく点灯されたスタンドの看板が見えたときには、二人で大声を上げた。

 

傍から見れば、あほらしい珍道中に違いないが、陽向との真剣な協働は、なにより愉しい。

 

 

福祉施設

福祉施設を運営するときに、株式会社を選ぶか、NPOを選ぶか?

 

株式会社を選んでいるSTUDIO COOCAの関根祥平さんに聞くと、「理事会だったり、そのための報告書を書いたり、の手間を省いて、タイムリーに自分たちの思う方法をとっていけること」が株式会社のメリットだということだった。

 

つまり、独自の考えで直感的に行動することを最優先にするならば、株式会社がよい、ということだろうか。

 

そういえば、NPOの方々は、時間をかけて書くことが好きな方が多いような気がする。

 

寄付を資金源とするならば認定NPOがよい、など資金調達の構造の違いが主な理由かと思ったが、どうやら運営する人の性質の違いが大きいのかもしれない。

 

 

におい

水槽の熱帯魚が木の塊の下で死んでいるのを見つけた。

 

水槽の中には、いつも30匹ほどが泳いでいるため、1匹がいなくなっても気づいてあげられなかった。

 

引き揚げたときの腐乱臭。

 

それだけが彼が生きたことを証明している。

 

せめて、やさしい顔でそれを記憶に刻もう。

 

 

結膜下出血

1年に一度くらいの頻度で、白目が血で真っ赤になる結膜下出血が起こる。

 

咳などが原因としてありうるらしいから、ああ、あのときのかな・・・くらいだが、見た目はかなり怖くなるから、人に会うときは要注意だ。

 

目立たぬように、久しぶりに眼鏡で過ごしている。

 

 

NPO探し

深く共感できる認定NPOを探している。

 

SOTOCHIKUプロジェクトで、ドナーが寄付金控除を受けられるシステムをつくるためだったが、寄付先のNPOの活動への共感度が高いほど、ぼくらのモチベーションも上がる。

 

いろいろと調べていく中で避けたいと思ったのは、省庁の天下り先の温床になっている可能性の高いNPOだ。

 

天下り先だから、と実質が伴わない組織と断じて一概に否定してよいものではないが、個人の熱を感じられない組織には寄付をしたくない。

 

逆に、個人の熱を感じられる組織には、自分たちの仕事にもつながるエネルギーをたくさんもらえる。

 

 

観光

クリエイティブサポート・レッツでは、知的障害福祉施設に一般の人が寝泊まりすることを「観光」と呼んで「ツアー」を組んでいるらしい。

 

素晴らしい発想だと思う。旅好きの人はきっとこの体験を愉しむはずだ。

 

何をもって、この事業の成功を定義するか?

 

誰に促されるでもなく、利用者とコミュニケーションをとる一定の数の人がいて、利用者に必要な介護もやってくれたりする、とか。

 

ぼくの経験上、旅の中では結構こんなことが普通に起きる。より本質的な旅であるほど、そうなる。

 

そうなると、「観光」「ツアー」というネーミングの問題を考えた方がよいか?

 

 

予定不調和

予定不調和は、新自由主義社会を転倒するためのカギだと信じて、ぼくらは空間づくりにそれが入り込むことを目指してきた。

 

思い通りにいかない、ということが試行錯誤を進めて、今までになかったものが生まれるからだ。

 

そうしてできあがった空間には多様性が生まれ、そこに過ごす人が何かを発見できる可能性を生む。

 

 

 

もちろん、<予定不調和=予定がその通りにならない>ということは、スムーズに生活していくうえでは、ネガティブなことが多い。

 

たとえば、検察がこれまでに起こしてきた冤罪は、罪を被せられたものにとって許しがたい予定不調和だ。それで死刑になった人がいるとすれば、取り返しがつかない。

 

 

ポジティブな予定不調和とは、自然がもたらしてくれるものであるべきで、人工であってはならない。

 

そして、人工が極まって組織的になってくると、反対にネガティブが極まってくる。

 

国家がもたらす予定不調和は、暴力そのものだ。

 

 

クリエイティブサポート・レッツ

静岡県浜松市NPO法人。介護や子育てを「家族でなんとかする」という硬直化して引きこもった社会から、人に迷惑をかけてもいい、柔らかく解放された社会へ変えていくことを目的とする。そのために、家族でもない、職場でもない、サードプレイスをつくる試みを進めている。その方法として、障害のある様々な人々が日常的に取り組む一見取るに足らないと思われること(「表現未満、」)にスポットを当て、アート活動を行う場に一般の人が訪れることを「観光」と位置づけ、ゲストハウスで宿泊もできる施設をつくっている。

レッツ代表の久保田翠さんは、昨今の「引きこもり」と呼ばれる人々が引き起こす殺傷事件について言及し、次のように語る。
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家族には愛がある。何とかしてやりたい、助けてあげたい。しかしその思いが逆に、「家族で何とか出来る」「何とかする」というループに陥ってしまう。ますます社会から距離を置くことになってしまう。
こうした事件が起こると、子どもたちの送迎バスに見守りをつけるとか、通学路を点検するとか。そんなことばかりが報道される。あほじゃないか。何の解決になるというのだろう。監視を強めればますます社会は硬直化していく。
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知的障碍者たちが住むシェアハウスと、一般の人たちのためのゲストハウスを併設させるという、風通しのいい暮らしの研究がすでに始まっている。


現代社会の解決の難しい問題に立ち向かうことを念頭に、例えば、福祉施設で宿泊体験をすることを「浜松最後の秘境を探検する」と表現する発想がすばらしい。学生時代にバックパッカーをしていたぼくは、これを聞いてワクワクする。秘境の旅には、事前に予測できない、かけがえのない出会いがある。こんな出会いの中で、世間知らずの若造だったぼくは現地の人に何の見返りもなく助けられ、また、自分にできることがあれば現地の人のためになりたいと自ずと体が動いた。そして、その中で、多くのことを学ばせてもらって今のぼくがある。介護などで困っているのっぴきならない家族の事情を楽にする、お互いを助け合う社会のヒントは、知らない同士が出会って、また気ままに次の場所へ出ていくことができる「旅」というカタチにあるのではないか。そんなことを考えさせられている。

 

 

抱樸

抱樸とは、「個別型包括的支援」を目指す北九州市NPO法人。制度の縦割りの中では捉えきれない個人の複合的な問題を、個人の周囲も含めたトータルなケアを継続して施すことで解決する。これまでの32年間の活動で、家のない3400人に部屋を提供し、炊き出しで14万個の弁当を配るなど、現在27事業の包括的な支援を行っている。

抱僕の意味として、代表の奥田知志牧師は次のように説明している。
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「抱樸」とは「原木をそのまま抱きとめる」という意味である。抱樸は性急に答えを求めず、その答えがいずれ出ることを信じて待つこと。さらに抱樸するということは、お互いが原木・荒木である故に、少々扱いにくく、とげとげしいことを前提する。「絆は傷を含む」元来社会とは赤の他人同士が誰かのために健全に傷つく仕組みであり、傷の再分配構造だと考える。抱樸とは、出会いにおける傷を必然とし、驚かず、いや、それを相互豊穣のモメントとすることである。
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「あ、ごめんね。びっくりさせたね」抱樸の人たちは、夜中道に横たわるホームレスに毛布をかけながら優しく声をかける。ホームレスの人たちをアパートに住まわせ、仕事をつくり、人との交流をつくる。この人たちの活動のおかげで、北九州市のホームレスの数は確実に減っている。


ぼくらにできることは何だろう?社会が傷の再分配構造ならば、ぼくらはどのようにして、他人の傷を自分のものとして引き受けることができるのか?同時に、どのようにして自分の傷を他人へ再分配して楽になれるのか?まずは出会うことによって、話を聞くこと、そして、話を聞いてもらうことから始めるしかないだろう。その前に、自分はどのように傷ついているか、を自問する必要があるかもしれない。つまり、自分の内側へ向くことから始めるしかない。ならば、グリッドフレームとしてできることは、ゆったりと自分の内側に向きあうことができる空間をつくることではないか。SOTOCHIKUはそれに貢献することができると確信している。ぼくらが傷を引き受け、引き受けてもらうことができるようになったとき、この世は誰にとっても生まれてきてよかったと思える世界に確実に近づくのだと思う。

 

 

福祉の視点

ここのところ、福祉の視点でものを考えようとしている。

 

福祉の視点とは、いつものぼくらの仕事とは違って、パブリックが大きく絡んでくる。

 

ホームページで書いてある内容は、ぼくらの主張と重なる部分が多いけれど、そこが大きな違いだ。

 

誰もぼくらの仕事をパブリックとは見ない。民間であろうと人を集まる場所をつくっているのであれば、自ずとパブリックな側面があるにもかかわらず。

 

しかし、だからこそ自由なところがある。周囲の目をあまり気にすることなく仕事ができる。

 

福祉施設は、常に周囲の目を感じながら仕事をすることになる。

 

その中で、仕事に自分の哲学を反映させて、ユニークに活動されているところはすごいと思う。

 

ものごとを進めるには、豊かな気持ちでいられることが大事だ。そして、豊かな気持ちでいられるためには、どこかにマージンが必要だ。

 

そのマージンをどこで確保するか?

 

民間のやり方と福祉施設のやり方は、そこに違いがあるのかもしれない。