gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

あるべき姿

陽向が塾通いを始めて、1か月が過ぎた。

 

塾についていくことが生活のすべてになっている。

 

できるようになりたい。

 

がんばりたい、という気持ちはいつも不変で、頼もしい。

 

けれど、がんばり方がわからない。

 

少しずつ、生活が荒れてきているかもしれない。

 

陽向らしくあるために、どう過ごせばいいのか?

 

いっしょに考える。

 

 

はじまり

突然、ひとつの時代が終わろうとしている

 

もちろん、ぼくらが生きている限り、それは時代の始まりでもある

 

たぶん、たくさんのことが元には戻らないだろう

 

それに抵抗している人たちも、いつまでもそれを続けることはできない

 

悪いことではない

 

よいことかどうかは、ぼくら次第だ

 

 

コーヒーをサイフォンで入れる

わさわさした心では人に向き合えない。

 

コーヒーをゆっくりと沸かしながら、話をする。

 

所作のひとつひとつに気をつかって。

 

ミルは、規則正しいリズムで回す。

 

挽き方が細かすぎないように。

 

マッチを擦って、火を点す。

 

お湯が上がってきたら、かき混ぜて、火を消す。

 

このときの香りがよい。

 

コーヒーが下りる時間がちょうどいいように。

 

カップは小さい方がいい。温かいものを継ぎ足せるから。

 

22年前に父が焼いたカップたち。

 

全体にゆっくりとした動作で、丁寧に。

 

 

会社を立ち上げた頃にはなにげなくできていたことだ。

 

22年目。再び、始める。

 

 

 

 

形容詞の実体

朝、陽向が怖い夢を見た、という。

 

いつも見ている闘いのゲームのように相手と闘っていたら、剣で刺されて殺されてしまった、と。

 

ぼくは、殺されそうになった夢は何度も見たけれど、必ず死ぬぎりぎりのところで目が覚めていた。だから、夢で死んだことは一度もない。

 

「とにかく、今日は気をつけろよ」と言って、送り出した。

 

さておき、「怖い夢」と言われて思い出したのは、5歳の時に見た夢だ。

 

熊本の父の実家の戸棚に飾られてあった黒い木彫りの人形。二人のおじいさんが一対。これをなんとも不気味なものとして子供の目では捉えていたのだろう。

 

何者かに追いかけられて、その頃に住んでいたアパートの階段を駆け上がると、その黒いおじいさんがひそひそ話をしているところに出くわす。

 

そのときの恐怖心を最も怖い夢として思い出すとは、どういうことか?

 

きっと「怖い」という形容詞をぼくは物質として掴んだような体験だったのだろう、と発見した。

 

「怖い」という塊がそこにあったのだ。

 

これまで他に、どんな形容詞の塊に出会ってきたのだろう?

 

「清々しい」「美しい」「悲しい」「苦しい」「痛い」「愛しい」「快い」「不思議な」・・・

 

本当に出会ってきたかどうかも、分からない。

 

だが、死ぬまで忘れない体験を今日することになるだろうか?という問いを持って今日を生きるのは、悪くない。

 

 

 

新型コロナウィルス

 コロナウィルスについて、いろんなことが分かってきたようだ。

 

というより、よく分からないウィルスだということが、分かってきたようだ。

 

潜伏期間も、症状も、ケースバイケースのため、どの状態で治癒したと言えるのか、確信が持てないウィルスであるらしい。

 

確かなことは人と人が離れていればうつらないことだ、という。安富歩は、人が隔離された状態で働ける職業の人だけは感染の心配から逃れられる。あたかも、ウィルスが人類に新しいライフスタイルを求めているようだ、と。

 

中国ではこの騒動で、急速にネットの整備が進み、遠隔での仕事が可能になってきているそうだ。中央集権的な仕事場は、もう崩壊するしかない、と。

 

リアルな物体をつくる仕事はそうはいかないのか、それとも・・・。

 

創造性の連鎖の時代がやってくる。

 

 

集まる場をつくるのか

ぼくは、これまで、人が集まる場をつくる仕事をしてきた。

 

けれど、それは表層的な意味において、だ。

 

レストランにしろ、サロンにしろ、本当は個人が何かを発見する場をつくってきたと思う。

 

二人、三人ならば、気づいてくれることも多いだろう。

 

けれど、それよりも多くなると、なかなか個人に働きかける場にはなりにくい。

 

誰かと一緒にいても、人間はたった一人だ。

 

一緒にいることで、生きる力をもらっているとしても。

 

一人としての人間に働きかける空間をつくる。

 

今後は、人が集まる場だったとしても、そのことに集中していける。

 

 

新しい生き方

ぼくたちは、自分が何のために生まれてきたかを、改めて自分に向き合って答えを探すときを迎えている。

 

もう、このままでは人間は持たない、と思っていた矢先だ。

 

ただ、自分を生きる。一人一人が自分を生きることに集中する。

 

それが始まる。

 

新しい生き方は、ひとり自発的に始めるしかないと思っていたけれど、今、自然に強制を受けて始まる。

 

よいではないか。

 

ありがたいことに、もう、これまでの生活には戻れない。

 

進むだけだ。

 

 

 

 

休校

突如、小学校が休校になった。

 

春休みが終わるまで、夏休みくらいの長さの休みになった。

 

学童クラブに登録している陽向は、とりあえず問題ない。

 

しかし、そうでない多くの児童は、一体どのようにしてこの事態を乗り切ることができるのだろうか?

 

実は、塾に通い始めて、今のところ勉強が追い付いていない陽向にとっては、この休みは好都合だ。

 

塾の勉強にしっかり照準を合わせられる。

 

しかし、柔道の練習もしばらく休みになった。

 

非常事態だ。しっかりと心を引き締めて、この期間を過ごそう。

 

 

10歳

陽向が10歳の誕生日を迎えた。

 

二桁の歳になった。パパやママと一緒で、もう大人だ、と言っている。

 

ずいぶん、心が大人になってきているのを感じる。

 

今日は、このところ恒例の座魚で、つくにれんくんとトモアキくんと、タイを釣って祝う。

 

これからの一年も愉しみだ。

 

 

満員電車

コロナウィルスの感染には、満員電車の環境が最も危険だ、と言われている。

 

今後、このようなウィルスがどんどん出てくるとすれば、満員電車に人が乗ることができなくなる時代が来るかもしれない。

 

都会に集まって住む、というスタイルが消滅する、としたら、ぼくらは人間性を回復できるのだろうか?

 

 

 

医者

「医者がやっていることは、人の弱みに付け込んだやくざと一緒なんだから、せめてちゃんとやれ」

 

ある医者が、医者になるときにお父さんから言われた言葉だそうだ。

 

その方は、どんなに患者が増えても他の人に任せることなく、全てご自分が診られているそうだ。

 

行くなら、そんなクリニックを選びたい。

 

 

フリーハンド

消しゴムで余計な線を消そうとしたら、

消えかかった線が奥へ退いて

規則正しい平凡な線が

急に踊り始めるように感じたことがある


フリーハンドでやってみようとする心は

なにかを表現しようとすることから始まるが

それだけではない


さまざまな偶然に出会って

思った通りにいかない自分が

思い通りにいったときの自分を

時折追い越してしまう


フリーハンドで働いてみよう