中国からやってきたコロナウィルスによって、さまざまなイベントが中止されるようになった。飲食店など、ビジネス全体にも大きな影響が出ている。
19日を境に、中国では感染者は減少傾向に入った。
今、感染者が増えている国も、治癒する人が新たな感染者の数を上回るようになるのは時間の問題だろう。
どの段階で、イベントがOKになるかは不透明だが、平常化が早いことを祈る。
そして、国には十分な補償を希望する。
しかし、どうやら国は十分な金額を用意していないようで、不安だ。
中国からやってきたコロナウィルスによって、さまざまなイベントが中止されるようになった。飲食店など、ビジネス全体にも大きな影響が出ている。
19日を境に、中国では感染者は減少傾向に入った。
今、感染者が増えている国も、治癒する人が新たな感染者の数を上回るようになるのは時間の問題だろう。
どの段階で、イベントがOKになるかは不透明だが、平常化が早いことを祈る。
そして、国には十分な補償を希望する。
しかし、どうやら国は十分な金額を用意していないようで、不安だ。
ぼくが1998年にグリッドフレームを立ち上げたときは、システムパーツを売る会社を目指した。東急ハンズにそれを置いてもらったこともある。
システムパーツと身の周りで手に入る何でも組み合わせることができて、DIYで家具から家までつくれてしまう、というものを売り出そうとしたのだ。
しかし、そのパーツで何をつくれるかを示すためのサンプルをつくっていたら、パーツよりもサンプルが売れていくようになった。
では、「自分たちでものをつくるしかない」とものをつくり始めた。パーティションや棚、テーブルなど、さまざまなものをつくり始めた。
つくっているうちに、段々とシステムも進化して大規模なものをつくっていけるだろうと考えた。
興味を持って入ってきてくれたスタッフがアパレル店に売り込んでくれて、アパレルの装飾的な什器をつくれるようになった。
だんだん、「つくってほしい」と言ってもらえるものの規模が拡大していった。
店全体をつくってほしい、と言われて、最初はシステムパーツだけで対応していたが、そのうちにパーツのみで対応することの難しさも感じ始めた。
ちょうどそのタイミングで、店舗をつくった経験のあるスタッフが入ってきたために、システムパーツからは急速に離れていき、「外部性を内部へ取り込む」というコンセプトをキープしつつ、店舗内装の仕事へ没入していった。
その過程で失われたものがある。
それはシステムパーツならば、思いついたらすぐにカタチにできた、ということだ。途中に、長い計画期間が必要となった。
基本設計の後に、詳細設計図や施工図が必要になった。
システムパーツならば、基本イメージ図しか必要なかったのだ。
基本設計は、創造的行為だ。だが、それ以降は、そこに創造がないわけではないが、創造性よりも正確性・迅速性に重きが置かれる。
「創造的なことしか、したくない。」そのつもりで始めたにもかかわらず、それぞれのスタッフが大半の時間をそれ以外に使わざるを得ないシステムの中にいることになった。
今、失われたものを取り戻すためのシステムづくりを急ピッチに進めようとしている。
ぼくらがぼくらでいるために。
Less is more とは、20世紀の3大建築家と呼ばれる中の一人、Mies van der Roheが唱えた言葉だ。
この逆説的表現は、その時代まで在った「建築には装飾がなければならない」という常識を覆すには十分な効果を発揮した。
柱と梁だけによってつくられる均質な構造体は、その内部にあらゆる機能を許容した。その機能についての多様性が、グローバリズムの推進に大いに役立ったのである。
ぼくらの住む地球は、退屈だけれども、みんな中流階級でいられる社会に落ち着くはずだった。ぬるま湯に浸かりながら、「つまらない」と叫んでいた80年代。
しかし、結果は逆になった。グローバリズムは世界資本主義を推し進め、その結果として、今日、貧富の差は拡大している。人間を大きな機械を動かすための「とりかえのきく部品」とみなし、各個人の単独性一切を削ぎ落してきたからだ。
だが、今、テクノロジーの発達によって、「とりかえのきく部品」としての人間はむしろ不要になってきている。新しいものを生み出す力こそが、今、人間に求められている。
そのために必要なものは、各個人が今まで削ぎ落された各個人の単独性ではないか?
「はかなさ」 消えやすく長続きしないこと
「せつなさ」 胸が締め付けられるような悲しさや、つらさのこと
ぼくらは皆、時の経過にともなって何かを失いながら生きている。でも同時に、失うことや失う兆候・予感に対して、美しさを感じる心を持っている。
美を感受する心とは、「はかなさ」や「せつなさ」というぼくらの生まれながらに制約を受けた、右下がりの事象に対する心象風景へ、まるで代償のように与えられたものではないか。
誕生、成長、上昇の「喜び」は、それ単体ではなく、上記のような逆の位相を持つ事象に目を背けず、対として捉えられたときに、より大きく、深く湧き起こる。
遠くを見つめるような微笑みをともなって。
そのように「喜び」を手にしていく人たちが、これからの社会をリードしていく会社であってほしいと願い、空間に想いを込める。
永遠でありたいと願って、「はかなさ」や「せつなさ」と向き合いつつ、生きる。
less is more を、ぼくはこのような新しい意味で捉える。
そこにいるといつの間にか音楽が聴こえてくるような空間に、ぼくはいくつ出会ってきただろう?
もちろん、いろんな条件が揃って起こることだろうが、まずは空間に力がなければ、そんなことは起きない。
写真からも音楽が聴こえることもあるが、やはりその場にいることで聴こえてくる音楽は、CDとライブくらいに違う。
例えば、ぼくは遠い過去に、夕暮れ時ルイス・カーンのソーク・インスティテュートへ行ったときに、水がこちらへ流れてくる位置に立った。
赤・黄・紫・青・紺に染められた太平洋の空を背景として広がる凹状のシンメトリーな構図。
その静寂の中でぼくの中に聴こえてきた音楽が確かにあった。
そのような空間は、「自然」を必要とする、と思う。ぼくらにはコントロールできない何かを。
SOTOCHIKUによって、そんな空間をつくることができるかもしれない。
どんなに時間をかけて
丹精込めてつくられたものでも
壊すことは簡単だ
ひとつのものがつくられるスピードと
それが壊されるスピードを比べて見ればよい
とても頭の良い人でないとつくれないものを
どんな人でも頭を使わないで一瞬で壊せる
だから、
どんなに未来を予測してつくられたものでも
必ず壊れる
絶対に大丈夫なものなんて存在しない
思い通りになることなんて何もないのだ
夜が終われば 月が沈む
階段を下りてゆく途中
君の背中が 月に溶ける
思わず走り出した時間
走り続けて 探し続けた
言葉の限りを 宙に漂わせて
苦し紛れの 独りよがりの日々
見上げても何も見えなかった 日溜り
叫び続けて 喘ぎ続けた
たどり着くのは 遠い日のようで
苦し紛れの 独りよがりの日々
見上げても何も見えなかった 日溜り
(1990.3 京都にて)
最近は、月曜日以外の祝日が少なくなってきた感がある。
今日の建国記念日は火曜日。2月11日には、どんな意味があっただろう?・・・とこの年で初めて調べてみる。
「日本では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。当時在位中の昭和天皇は第124代天皇とされ、2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり[2]、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。」(Wikipedia)
最近、近代以前の人々がどんな心持ちで生きていたのかを想像するのがおもしろくなった。
ゆったりと時間は流れていただろうか。一日中、釣りをしているような生活もあったかもしれない。
突然、襲われて、食べ物や家族を奪われることもあったかもしれない。
国、というものができて、野生動物の仲間として生きていた時代は終わりを告げたのだろうか。
争いがなければ、国は生まれなかっただろう。
ロボットが生活に必要な労働を代行してくれたら、貧しさを物理的になくすことはできるだろうか?
そうなったら、争いはなくなるだろうか?
そのとき、国は必要とされるだろうか?
世界はひとつになれるだろうか?
曲がった急な坂道は
外側が空に開いていて
心はいつも今日の天気に向かう
そんな曲がり道では
その先に何が待っているか見えない
だから、曲がり道の内側にあるそのお店は
歩いているうちに突然現れる
「見つけた!」という気持ちになる
そのちょうどよいサイズの白い建物は
密集した住宅街にありながら
中にいたら、つい隣の存在を忘れてしまう
きっと空と向き合っているからだ
しばらく働きづめの日々が続くと、無性に体を動かしたくなる。
ああ、思い切り走りたい。
新型コロナウィルスで、いたるところで監禁状態にある感染の疑いがある人たちも、同じ気持ちでいる人がたくさんいるだろう。
勝浦の海沿いにある三日月ホテルに閉じ込められている人たちに向けて、地元の人たちが浜辺の砂に大きな文字を書いて、励ましている。
「あとすこし。がんばって。」
人の心は美しい。