gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

ジタバタ

自分はこちら側にいて、あちら側のモノをつくるような仕事はしたくない

 

ジタバタすることもなく、これがプロの仕事です、と涼しい顔をしてすでに答えの見えている仕事をするよりも、いつも自分にできるだろうか、という不安と期待の中で仕事をしたい

 

自分がいるここで、自分の抱える病理に向き合うように、壊したりつくったり、ジタバタしながら仕事をしたい

 

終わったときには自分の中で何かが変わるかもしれない

 

そのような仕事でなければ、周りも何も変わらない

 

笑顔

夜中の1時頃、仕事から帰ってくると、陽向は立ったまま固まって動かないでいる

 

最近よくあることだが、この時間はまずい

 

向かい合って話をして、体をさすってやわらかくする

 

数十分それを続けて、陽向はようやくベッドへ動いた

 

やわらかな雰囲気の中、運動療法マッサージを施す

 

2時になり、ようやく「おやすみ」と声をかけたとき、最近笑わない陽向が満面の笑みを返してきた

 

笑顔はどんな言葉にも勝るメッセージだ

 

お互い、よく眠れそうだ ありがとう

 

一つ一つに向き合う

能登へ壊れたモノをもらい受けに行けることになりました。

 

まず、正直にお伝えしなければならないのは、ぼくたちは残念ながら、被災した方々が日常を取り戻すためのお力にはほとんどなれない、ということです。

 

ぼくたちは総勢9人の小さな会社であり、空間づくりの規模も件数も決して大きなものではないので、たくさんの物量を扱うことができません。だから、壊れたモノを片付けることができるわけでもありません。壊れたモノをほんの少量採取させていただき、その結果の寄付控除の金額も数万円程度に過ぎない場合が多いです。

 

でも、その代わりに、寄付していただく一つ一つのモノに対して大切に向き合って、どこかの町でそれぞれの能登の記憶が受け継がれていくように、できる限り質の高い空間をつくろうと努力します。ぼくたちは、モノや人に一対一で向き合って空間をつくると同時に、未来へ素材の物語を伝えることに重きをおいて活動しています。

 

寄付してくださった方には、モノたちがどのような場所でどのように使われることになったかを丁寧にお伝えしたいと思います。それによって、被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。

自分に言い聞かせる

このブログに書く言葉も、誰かに向き合って伝える言葉も、相手に伝えたいと同時に、自分に言い聞かせている言葉だ。

 

繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせる。

 

いつか、その言葉が自分に浸み込んで、言葉通りの人になれますように。

 

おまじないにも似ている。

 

ぼくは言葉通りの人にはまだまだなれていない。

 

なりたいと思っている者に過ぎない。

 

もののけ祭り

vimeo.com

鋸南町のSOTOCHIKU&89(通称:パクチー銀行)で出会った方々が表参道のSOTOCHIKUショールーム訪れてくださった。

 

このようなお仕事に関わられたそうだ。

 

この「もののけ祭り」の世界は、ぼくが実現したい世界に近い。

 

自分がそこにいるという実在感と、外側から自分を見つめる冷静さを行ったり来たりできることが、自分という存在の理想的な在り方ではないか?

 

ぼくはそのような空間に20代の頃、アメリカ・バッファローのスクラップヤードで模型の素材を探しているときに遭遇した。

 

だれもがそう感じるはずはない。ぼくがそこで素材を探していたことが主要な条件のひとつとしてあるだろう。

 

しかし、浮浪者から貴婦人まで誰が入ってきても不自然ではない空間、とぼくが感じた感覚は今も新鮮によみがえる。

 

もののけ祭り」の映像世界の感覚は、ぼくにスクラップヤードを思い起こさせる。

 

これがぼくがつくりたい空間と密接に関係することは間違いないだろう。

 

獣のように

最近電車に乗るのが難しい陽向を毎月通う鍼灸院へ車で連れて行った。

 

駐車場に止めて、彼を連れて行こうとすると、立ち上がらない。

 

四つん這いになって動かない。

 

20分ほど立たせようと格闘するが、もう大人のサイズである彼を思い通りにはできない。

 

彼から離れてみると、四つん這いのまま獣のように鍼灸院へ向かい始めた。

 

四つん這いのまま、車道を渡る。

 

そして、渡りきったところでまた動かなくなった。

 

最後は、鍼灸の先生が出て来てくださって、3人で手足を持ち上げて鍼灸院へ運び込んだ。

 

無事鍼灸院にたどり着いた彼は、スッと立ち上がってベッドへ行く。

 

大変だけど、こんな面白い奴は見たことがない。

 

混沌と落着き

毎日は混沌の中にある。今日も思いもしなかった出来事が押し寄せてくる。

 

最近は、それを愉しんでいる自分を感じられる。

 

軸がぶれなくなったのだろうか。

 

まるで祭りの熱狂の中にいて、同時に外から静かに自分を眺めているかのように。

 

その行ったり来たりが少し自在にできるようになってきたのかもしれない。

 

もちろん、まだまだぶれないわけではない。

 

でも、大事なことは見えてきている。

 

 

 

第2回ペンキのキセキ

昨年11月末に行った第1回「ペンキのキセキ」で塗装していただいた鉄板が4か月ほどの鋸南の時間を記憶して、プロジェクトに使用されるべく引き上げられた。

 

今回、自由に塗っていただいたペンキは、途中雨が降って流され、人の手だけでは実現できない複雑さが現れ、塗ったその日にペンキのキセキを目の当たりにすることになった。

参加していただいた方々に感謝。

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト①

今日からGFスタッフMさんが現地に入り、石川県災害ボランティアに参加。いよいよプロジェクトの始動です。

 

ぼくは、熊本地震で母親の住む実家が半壊した経験から、被災された方々の願いはとにかく一日も早く日常を取り戻すことだということを知っています。壊れたモノを「そこに流れた時間を記憶した貴重なモノ」として残したいと考える余裕はほとんどないことも。震災から数か月は、壊れたモノは早く目の前からなくなってほしいモノであるのが普通です。

熊本地震では築100年以上経った亡き父の実家も全壊となり、幼い頃からその土壁に強い愛着を持っていたにも関わらず、それを取りに行かねばと思い立ったのは、もうすべてが片付けられた後だった、というぼく自身の苦い経験があります。

そこに流れた時間の記憶を一切失ってしまった。そのことを痛感しました。

能登で被災された方々の中にも、少し時間が経った後で、ぼくと同じ思いを抱く方がたくさんいらっしゃるのではないか、と思うのです。

だからこそ、お話ししづらい壁を乗り越えて、今のタイミングでソトチクをお伝えする努力をしたいと思います。

 

まず、正直にお伝えしなければならないのは、ぼくたちは残念ながら、被災した方々が日常を取り戻すためのお力にはほとんどなれない、ということです。

ぼくたちは地震で壊れたモノを寄付で集めて、SOTOCHIKU素材としてどこかの空間づくりのプロジェクトに使用します。そのときSOTOCHIKU素材の売上金額の60%がNPOへ寄付されて、寄付した方は寄付金控除(売上金額の約30%)が受けられます。

ぼくたちは総勢9人の小さな会社であり、空間づくりの規模も件数も決して大きなものではないので、たくさんの物量を扱うことができません。だから、壊れたモノを片付けることができるわけでもありません。壊れたモノをほんの少量採取させていただき、その結果の寄付控除の金額も数万円程度に過ぎない場合が多いです。

でも、その代わりに、寄付していただく一つ一つのモノに対して大切に向き合って、どこかの町でそれぞれの能登の記憶が受け継がれていくように、できる限り質の高い空間をつくろうと努力します。ぼくたちは、モノや人に一対一で向き合って空間をつくると同時に、未来へ物語を伝えることに重きをおいて活動しています。

寄付してくださった方には、モノたちがどのような場所でどのように使われることになったかを丁寧にお伝えしたいと思います。それによって、被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。

 

SOTOCHIKU協会では、

①SOTOCHIKUにご興味を持ってくださる方

②SOTOCHIKU素材に一対一で向き合って創造行為に使用することにご興味のある方

③SOTOCHIKU素材をご提供されることにご興味のある方

にぜひメンバーになっていただければうれしく思います。

https://www.facebook.com/groups/1608406556594005

 

沈黙

今日の陽向は、少し水を飲んだ。そして、少し食べた。

 

ほっと一安心。

 

穏やかだ。

 

そして、「カラオケに行きたい」という。

 

近くのカラオケに3人で行く。

 

でも、彼は歌わない。

 

好きな曲では、ニコニコしていたが、結局1曲も歌わないで終わる。

 

いつもならマイクを独り占めするのに。

 

まだ、謎の毎日が続く。

 

気力

陽向は、ハンストしているのか、それとも、食欲を失っているのか?

 

今日も何も口に入れない。そして、喋らない。

 

病院へ連れていくか、それとも食べるのを待つか?

 

気力は感じられる。

 

目に力もある。

 

とにかく水を飲ませようとするが、ことごとく拒否してくる。

 

だが、見るからに痩せてきた。

 

食べない

食欲が減退してきたな、と思って見ていた陽向が昨夜から食べなくなった。

 

一日中、口に何も入れない。水も含めて。

 

原因は精神的な疲れなのか?

 

どうすれば食べられるようになるのか?

 

元々蓄積した体力のおかげで、まだ一緒に走ることだってできる。

 

土曜日は公園で久しぶりに相撲をして、ぼくの8勝5敗だった。

 

本当に強くなってきたのを実感したばかりだ。

 

何が彼の中で起こっているのか?

 

親は試行錯誤を繰り返すしかない。

 

下北沢

久しぶりに下北沢を歩く。

 

以前はもっとごちゃごちゃした町だった。今はずいぶんすっきりとしてきた。

 

まあ、でもこの写真は以前の下北沢らしい。バロンデッセをつくらせていただいたこのビル。

 

こんなビルがなくなったら、ずいぶん寂しく感じるだろう、とは思う。

 

でも時間が経ったことに対して寂しさを感じるのは、悪いことではない。

 

何も感じないことに比べれば、比べものにならない価値がある。

 

このまんま残さなくてもいい。

 

でも、・・・欠片を残したい。

 

それを発見したら、少し微笑んでしまうような、小さな欠片を。